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クルト・ヘルト『赤毛のゾラ』(酒寄進一訳、長崎出版、2009年3月)

 1941年に出版されたクルト・ヘルト Kurt Heldの古典的児童文学である『赤毛のゾラ Die rote Zora』の新訳。上下二巻本である。久しぶりに読んで、楽しんだ。

赤毛のゾラ〈上〉

赤毛のゾラ〈上〉

 1992年に当時の福武書店から邦訳が出ていたが絶版、ながらく日本語では読めなかった。主人公は、クロアチアの港町セニュで暮らす12歳の男の子、ブランコ Branco。物語は、ブランコの母が亡くなる場面から始まる。バイオリン弾きの父親は放浪していてほとんど家に帰ってこず、ブランコはその日から寝る場所さえ失ってしまう。しかも、あまりのひもじさに魚売りの手から地面に落ちた魚を拾ったことで警官につかまり、オリのなかへ。そこに現れたのが、赤毛の女の子、ゾラ Zora。彼女の手引きで警察署から逃げだしたブランコは、ゾラが率いる子どもたちの仲間に加わるのである。彼らは古い城をねぐらにして、自分たちの力だけで生きている。そして、この小さな町で大人たちを相手にさまざまな騒動を引き起こす・・・。
 貧困、孤児、資本主義の暴力などがリアリスティックに描かれる一方で、子どもたちが団結して力強く生きていくさまは、ある意味ユートピア物語、また冒険物語でもある。社会の正義と孤児たちの正義がぶつかり合う。資本家の論理と庶民の論理が衝突する。ディケンズ的物語でもあり、かつロビン・フッドの末裔。そしてもちろん、ケストナーからの流れに属する。そんな物語だ。
 作者のクルト・ヘルトは、本名クルト・クレーバー Kurt Kläber(1897〜1959)。そのキャリアを労働者詩人、プロレタリア文学の作家としてはじめた。ナチス政権の元で逮捕され、スイスに亡命する。本の出版を禁じられたことから、偽名で作品を発表した、そのひとつが、この作品である。妻は、リーザ・テツナー。アニメ『ロミオの青い空』の原作である『黒い兄弟』(これも酒寄訳で出ている)や、『67番地のこどもたち』(ぼくが持っている翻訳は、講談社の『少年少女新世界文学全集17』(1963年刊)に入っている、塩谷太郎訳のもの。この巻には、植田敏郎訳のケストナー飛ぶ教室』と、植田訳のクリュス『ひいおじいさんとぼく』が収められている)の作者として有名な児童文学作家である。
 男の子たちを率いる女の子ゾラは、行動力・統率力を備えた魅力的な子として描かれている。こんな女の子、それまで子どもの本のなかに出てこなかった。つまりはあのピッピの先輩、あるいはモデルなのだ。
 書かれた当時から、この物語はユートピア的な側面を持っていただろう。訳者のあとがきにもあるように、市場に多様な国籍・宗教を持つ人々が集まっている場面など、第二次大戦という時代を考えれば、未来に実現すべき理想を作者は描いている。そしてユーゴスラビアという国を経てのあの悲惨な内戦を見てしまった我々にとって、それは実現し損なった理想なのである。
 あと、背後に山の迫る港町の情景がほんとにいいのだ。
 もはやあまりに牧歌的な世界ではあるけれど、しかしここで描かれるヒューマニズムは、いま読んでもその意味をけして失ってはいないだろう。それが子どもの本の特質でもある。
 昨年(2008年)、映画化された模様。