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ボンゼルス『蜜蜂マアヤ』(実吉捷郎訳、岩波文庫)

蜜蜂マアヤ (岩波文庫)

蜜蜂マアヤ (岩波文庫)

4月が終わろうとしている。
なんとか乗り切った。
しかし疲労はたまり、さまざまな持病が顔を出してくるのを少しずついなす日々であった。
今日から1週間休み、うまく疲れを取ることができるだろうか。
今日着ていたマーガレット・ハウエルのヘンリーネックのシャツ、首の後ろんところにリボンのようなタグがついているのだけど、それがぴろんと飛び出しているのを帰宅したあとで妻に指摘された。その状態で授業をしていたらしい。
お疲れさま、だ。
さて表題の『蜜蜂マアヤ』。岩波文庫の春のリクエスト復刊の一冊、買って読む。恥ずかしながら小説の方ははじめて読むのだ(ドイツ語でも読んでない)。原作は1912年作、翻訳は1937年。
旧字旧かなの訳文は、さすがに読むのがつらい。そして内容も、おもしろいかと言ったら、いやあちょっとね、もごもご、という感じである。
ユーモラスな部分があって楽しいし、マーヤの目を通して知覚される美しい自然の描写がそれなりに読ませる、ということはある。それこそ「新訳」がなされれば、まだ違うのかもしれない。
この作品、出版当時は刊行後10年で50万部以上売れた大ベストセラーだったのだ。誰が買ったのか? Isa Schikorsky の "Schnellkurs Kinder- und Jugendliteratur" (DuMont, Köln, 2003) にはこう書いてある。

その多くは若い兵士たちの背嚢に入れられていた。彼らは1914年に大声で万歳を唱えながら出征していったのだ。

そう、このお話は国家=全体に奉仕して自己犠牲をいとわない、というひとつのイデオロギーを描く「政治的物語」(クラウス・ドーデラー)なのである。強大なクマバチ軍に統制と自己犠牲で立ち向かうミツバチたちの物語は、出版されて2年後に第一次世界大戦という形で現実に回帰する。そしてこの岩波の日本語訳が出た2年後に、日本も破滅的な負け戦へと突入するのだ。なんという符合。
一方で、時代は世紀転換期を過ぎたころ。都市化・産業化が進展し、周囲の世界からの疎外が人々に実感され、不安感が社会をゆっくりとしかし強い圧力で攪拌していた。人々の志向はおのずと「破壊される以前の美しく安らぎに満ちた自然」へと向かう。子どものための読み物にも、「自然」や「動物」が導入される。
1894年にキプリングの『ジャングル・ブック』、ラーゲルレーフの『ニルスのふしぎな旅』が1906年、グレアム『たのしい川辺』は1908年、ロフティング『ドリトル先生』シリーズが1920年、ザルテン『バンビ』が1923年、そしてA.A.ミルン『クマのプーさん』は1926年。わが『みつばちマーヤ』は1912年だ。
物語の前半で、マーヤは巣箱=「都市」からひとり離れてきらめく自然の中へと入っていく。もちろんそれは、20世紀が始まるとほぼ同時に生まれた「ワンダーフォーゲル」運動の物語化なのである。シコルスキーの本に即して言えば、この物語には20世紀初頭の若者たちが直面していたある引き裂かれた状況が描かれている。すなわち、荒廃し束縛する既成の社会や都市から離れて自由を自然の中に求めようとする志向と、社会なり国家なりの維持のために死をいとわず戦争に身を投じることの、こう言っていいなら、全体へ奉仕する人間の抱く甘美な感覚と。
つまり、この作品は時代の写し絵なのだ。
1か所、記憶に残った台詞がある。マーヤが蜘蛛の巣につかまり、絶望の悲鳴をあげているところに青い色の蝶が通りかかる。彼はこう言って飛び去る。

「やれやれ、気の毒な。」と蝶は、マアヤの悲鳴を聞いて、マアヤが蜘蛛の巣の中で死物狂ひにもがいてゐるのを見た時、さう叫んだ。「楽な死に方をなさるやうに祈りますよ、あなた。僕にはどうしてあげることもできない。僕だつていつかはかういふ目に会ふんです。ひよつとしたら今夜にもね。でもまだ僕は愉快に生きてゐる。さやうなら。深い死の眠りの中でも、太陽のことは忘れないやうにね。」(101ページ。漢字は旧字を現代式に直した)

こういうニヒリスティックな感覚が、この作家の本来の資質のような気がするのだが。