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平山蘆江『東京おぼえ帳』(ウェッジ文庫、2009年2月)

先に紹介した『演劇インタラクティヴ 日本×ドイツ』で、ぼくはドイツと日本で「国民国家」が成立するあたりにおける演劇の一側面、という感じの原稿を書いた。
「近代」とか「国民」とか「啓蒙」とか、大時代的でおおざっぱで大上段でなんだかな、というような感想を持たれる方もいるだろうことは承知の上である。
しかし、具体的なことがら・人物に対する考察が中心となるであろうこのような論文集で、しかも専門家だけでなく学生を含めた一般の読書人に広く読まれるものにしたい、ということであってみれば、「歴史」や「原理」的な項目を扱う部分が必要ではないか、と考えたのだ。
今世紀に入って、思考の場は社会、経済、そして(グローバル化も含めた)国家というものを中心にしているように思える。
この本の現代をあつかった部分を読んでもらえればわかるように、演劇だって、内容も、公共劇場などの入れ物も、大きく言ってそのようなテーマをめぐるものが浮上してきているのじゃないだろうか。

さて、その原稿の参考文献に入れなかったのをちょっと後悔している本がある。
平山蘆江の『東京おぼえ帳』である。

東京おぼえ帳 (ウェッジ文庫)

東京おぼえ帳 (ウェッジ文庫)

出版されたのは1953年、昭和28年。蘆江は都新聞の演芸・花柳担当の記者として健筆をふるった人物であり、花柳小説の代表的な書き手である。都新聞は現在の東京新聞の前身で、中里介山伊原青々園長谷川伸などが劇評や小説を寄せた、大衆文芸や歌舞伎を中心とした演芸、そして花柳界に強い大衆新聞だった。「万朝報」を創刊する前の黒岩涙香主筆として本案ものなどを書き、評判を博してもいた新聞だ。
『東京おぼえ帳』、歌舞伎役者や新派の役者、そして芸者たちのゴシップ満載、誰と誰がくっついただの、お金にまつわる話だの、まことに下世話でだからこそ生き生きとしていて、明治から大正、昭和初期の東京の、猥雑で粋なエネルギーがびしびしと伝わってくる。めっぽうおもしろいのである。
たとえば川上音二郎
語られるのは、貞奴との、池上はあけぼの楼にての出会いから、おっぺけぺーの大はやり、そして失敗、窮しての、ボートに二人乗っての遭難騒ぎ、さては「夫婦の愛情の努力を息の根の止まるまで味はひ尽くさうといふ決心」で二人ふとんにくるまっての心中の試み。
あるいは、山の手牛込余丁町の一角に娘をいびり殺した母親がいて、その家屋敷が継子のたたりとて化け物屋敷と呼ばれるようになり、それを知らずに移り住んだのが坪内逍遙、その家の半分を仕切って設立された文芸協会はもめ事多くして解散、「やっぱりまま子殺しの祟りだ」と。
解散した文芸協会を母体として島村抱月松井須磨子の一座が生まれ、これが日本中の大人気。しかし抱月は病死、須磨子は自決、やはりこれも祟りだと、「余丁町の噂ばなしは、その因縁物語の結末を満足さうに取沙汰した」。
こんなふうに挙げていったら切りがない。
それにしても、当時の花柳界とは本当に不思議なところだ。政治家も役者も相撲取りも、芸者にまつわる挿話のひとつふたつをみな持っている。

団十郎の相談相手になり明治期の東京劇壇をわがもののやうに引きまはした桜痴居士福地源一郎も吉原の耽美者であり、擁護者でさへあった、さくら路といふ花魁に深く馴染み、朝に夕に吉原通ひをしたので、桜に痴(たわ)けをつくすという心から、桜痴居士の雅号も出たのだといふ。

こういう本を文庫にして売っているウェッジはJR東海のグループ会社で、「ウェッジ文庫」は知る人ぞ知る存在だったのだが(2007年創刊)、噂によると廃刊になるらしい。
新劇、といえば同じウェッジ文庫に野口富士男の『作家の手』というエッセイ集があって、そこに昭和初期に書かれた新劇評が入っている。それについてはまたの機会に。