ホンダヨンダメモ(はてなダイアリー版)

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「たくさんのふしぎ」販売中止についてのメモ

 児童文学と出版に関する出来事であるので、ここにメモしておく。
 福音館書店は、「たくさんのふしぎ」2010年2月号『おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり』(太田大輔文・絵)を、ある小児科医の抗議をきっかけとして販売中止、回収するという発表をした(28日)。
 理由は、登場するおじいちゃんが孫の前でたびたびパイプをふかす、というシーンが頻出するため、という。子どもに対する受動喫煙をどう考えているのか、という抗議のようだ。さらに、協力者のクレジットに「たばこと塩の博物館」に所属する研究者の名前があったことも問題とし、タイアップなのでは、という指摘もあったらしい。
 福音館の今回の対応は、非常に残念だと思う。
 ぼくはたばこを吸わない。そばでたばこを吸われると非常にいやだし、子どもがいる人なら、歩きたばこが小さな子どもにとってどれだけ怖いか、体験していることだろう。しかし、この件に関しては、抗議するほうもそれを聞き入れてしまった方も、愚かな行為だったと感じる。
 ある種の人間が、そのような(時にヒステリックな)抗議をすることは、あるだろう。そういう人間は常に存在する。しかし、子どもの社会を見る力、本を読む力を信じて子どもに本を送り続けている出版社ならば、毅然としてそのような抗議をはねつけるべきだったのではないか。
 ある種の人間は、子どもの前から、人間や社会の「謎」や「ふしぎ」を取り去ろうとする。「謎」や「ふしぎ」は安定した生活を営んでいる自分たち大人をおびやかすから。自分たちがクリーンだと信じる、正しいと信じる世界のみを子どもに見せようとする。
 しかし子どもは、この世界の「謎」や「ふしぎ」をたとえば物語のなかに発見することで、自分たちがこれから生きていく世界のあり方を学んでいくのである。おじいちゃんが子どもの前でぷかぷかたばこを吸っている。それ、だめなんじゃないの? でも物語のなかではけっこうおじいちゃんってパイプすってるし、江戸時代にはキセルなんて言うのもあったらしい。どうしてだろう・・・。
 そういうことを考える子どもの能力をみくびっている人間が、あるいはこういう本をきっかけに子どもと対話する力など親にないはずだと見下している人間が、杓子定規に「かいてあること」の表面のみをあげつらうのだ。
 さらに批判者の小児科医は、「たばこと塩の博物館」と書いてあるのをみただけで、まったくの憶測で(もちろんぼくにも本当のところはわからない)タイアップしているのではと言い、たばことは関係ないのに、内容自体もレベルが低いと言って批判する。これは文学から離れても、科学的な検証、批判の態度としてだって間違っている。「子ども」の「医者」であるということだが、なんだかなあ、という感じである。
 子どもの前でたばこをすうという暴力性と、背後にあるもろもろを一切考慮せずに自分の信じる「正しさ」の感覚のみで他人を指弾する暴力性は、同じものなのだ。