ホンダヨンダメモ(はてなダイアリー版)

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西江雅之『旅人からの便り』(リブロポート、1980年)

数回前のこのブログでダンティカの本を取り上げたとき、ハイチについてはほとんど知らない、と書いた。それはたしかにそうなのだけれど、しかしあとで思い出した。西江雅之の本の中で、ハイチにはたびたび出会っていたのだ。
はじめは、『旅人からの便り』。リブロポートから出た本の表紙がとても印象的で(電線の這うコンクリート造りの建物に挟まれた路地、そこに佇み撮影者の方を見ている、女性がふたり。背の高い青い服の女と、少女、いやふたりはもしかしたら姉妹なのか、ブレと光の回折で首や腕が人形のように細く見える)、それを眺めている高校生の僕が思い出されて、ちょっと胸がきゅんとなる。サイン入りの、思い出の本。
その最初の章が、「ポール・トウ・プランス ハイチ」だった。
サンフランシスコで仕事をしていた著者が、ふと旅行を思い立つ。カリブ海の島を見たい。とすれば、とにかくハイチだ、と。サンフランシスコの領事館でビザについてたずねると、白人の領事が日本人には必要ないという。さっそくチケットなどを手に入れて経由地のマイアミで飛行機に乗ろうとすると、ビザが必要だ、と搭乗を断られてしまう。困ってマイアミの領事館に電話して事の次第を訴えると、そこの領事が、自分がこれから空港に行ってビザをあげるから待っていて、と。出発十分前に現れた黒人の領事は、パスポートの空きページに「この男を三週間程滞在させる許可を与えるように」と万年筆で書き、サインしたのである。なんという大らかさ!
ホテルの部屋の壁にかかっているふしぎな絵。ハイチ音楽の楽団演奏。アイスクリーム売りと子供たち。ヴードゥーの儀式でトランス状態になる女たち。ハイチについてまったく知らない僕には、ほとんど幻想の世界に思える描写に、久しぶりに読み返して心を奪われる。
これ以降の著書にも、ポルトー・プランスはたびたび登場する。なにより、西江雅之の研究テーマのひとつであるクレオール語に関して、ハイチはその最大数の話者を持つ国なのだ。フランス語系のクレオール語を話す人びとの国。貧困と、人をまたいだり人とぶつかったりしなければ道を歩けないほど、人が溢れる国。「労働力として不適格」という理由でヨーロッパから来た人間によって先住民が「絶滅」させられ、かわりに「導入」されたアフリカ系の奴隷たちによって1804年に誕生した、世界で最初の黒人の独立国。
クレオール語調査のインフォーマントとして手伝ってくれた二人の少女が、著者がケンタッキー・フライドチキンの店でおごったミルクセーキを半分残し、1時間かけて親戚の家に持って行ってそこの子どもに飲ませる、というエピソードが『風まかせ どこに行っても地球は我が家』(日本交通公社、1986年)にあった。
今から数十年前の話なのだが、基本的な状況は今でも変わっていないのだろう。