ホンダヨンダメモ(はてなダイアリー版)

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日高敏隆『動物の言い分 人間の言い分』(角川oneテーマ21、2001年)

出先で読むものがなくなり、駅ナカの小さな本屋で購入。肩の凝らない動物エッセイを、電車の中で楽しく読む。
日高敏隆は、翻訳がすごい。いくつの言語ができるのだろう。もちろんコンラート・ローレンツから、ドーキンスまで。そのほか僕が読んだものでいえば、エドワード・T・ホールの『かくれた次元』、ヤーコプ・フォン・ユクスキュル『生物から見た世界』。アーサー・ケストラー『機械の中の幽霊』、それからシュテュンプケ『鼻行類』なんて変なのもあった。
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本書の中に、「コウモリの美人観」という一節がある。始まりはこうだ。

十八世紀のイタリアにスパランツァーニという博物学者がいた。
この人は牧師のくせに、じつに変わったことに好奇心を抱き、いろいろな発見をしている。(113ページ)

たとえば、カエルを使った実験。オスにパンツをはかせ、メスと会わせる。オスはメスにしがみつき、メスは卵を産む。そして、その卵はかえらない。つまり、彼は「コンドームの発明者」なのだ、と。
それから、コウモリの実験。コウモリの目にロウソクのロウをたらして、目をふさぐ。しかしコウモリは、天井から幾本もつるされた、鈴のついたヒモをまったくならさずに、平気で飛び回った。そこで次に口をふさいでみた。すると今度は、盛大に鈴の音。
どうやらコウモリは、口から人間には聞こえない声を出して、その反射を耳で捕らえて世界を「見て」いるらしい、とスパランツァーニは結論する。
この本では、このあとコウモリについての話になるのだが、問題はスパランツァーニである。
ドイツ・ロマン派に関心がある人間なら、この名前はE.T.A.ホフマンの『砂男』に出てくる、ということを知っているだろう。あるいはオペラ好きなら、オッフェンバックの『ホフマン物語』の登場人物として記憶しているかもしれない。『砂男』では、主人公ナタナエルがその魅力に引き寄せられる「自動人形」オリンピアの「父」である物理学の教授が、「かの有名な生理学の大家と同じくスパランツァーニという名前」(岩波文庫池内紀訳より)なのだ。
Razzaro Spallanzani(1729−99)は有名な生理学者博物学者である。当時は、まだ「自然発生説」が唱えられていた。最終的にはパスツールの実験によって否定されるわけだが(白鳥の首のフラスコ、ですね)、スパランツァーニも独自の実験で自然発生説に異議を唱えている。また、乾燥させた微生物にふたたび水分を与えて「生き返らせる」実験など、「生命」の秘密に実証的に迫った学者なのである。
それがホフマンなどの文学者にインスピレーションを与えたのだった。ホフマンは『廃屋』という短編でも、コウモリのもつ「すばらしい第六感」を発見した人物としてスパランツァーニの名前を挙げている。普通の人には見えないものを感じ取ることのできる人間、「驚異」を感じ取る「特別の感覚」を持っている人間のことを、そこでは「スパランツァーニのコウモリ」と呼んでいるのである。ただ、ホフマンの作品ではlが一個少なくSpalanzaniとつづられているけれど。
あの有名な科学誌Natureの2001年6月7日号で、イタリアの研究者Paolo Mazzarelloという人が、ホフマンも含めた文学作品、SF小説などに登場する「マッド・サイエンティスト」のルーツがこのスパランツァーニだ、という論文を書いているらしい("Sulphur and holy water")。どこかの図書館でコピーできるかな。