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吉見俊哉『大学とは何か』(岩波新書、2011年7月)

大学とは何か (岩波新書)

大学とは何か (岩波新書)

ぼくは大学を卒業しても大学にいてさらに修了してもまだ大学にいつづけていまだにあちこちの大学をうろうろする生活で、そして今年は大震災と原発事故のショックで人生見つめ直し的状況に入り込み、ちょっと息苦しくてもぞもぞしているわけだけれど、
しかし、というべきか、だからこそ、というべきか、大学とはどういうところなのか、さっぱりわからなくなってしまった。
わからなくなったら、まず通時的に、そして次に共時的に見取り図を書く。
この本は、大学の誕生からその歴史を欧米と日本においてたどることで、現在の大学(制度)を成り立たせている重層化しつつ堆積した諸要素を手際よく腑分けし、その上であるべき大学像を提示してみせる。
中世の大学、フンボルト型の近代的大学、そしてアメリカ式の大学へ。そこで問題となるのは、大学の存在価値を規定するふたつの要素、「国民国家」と「普遍的価値」との相克である。
そして前者はいまやグローバル化のなかで揺らぎつつあり、後者は「専門知」のタコツボ化と大学の「サービス産業化」のなかでやはり揺らいでいる。
おそらくキーワードは「教養」と「自由」であり、つまりは「リベラルアーツ」の再構築なのだが、しかし「(新)自由主義」や「古典への回帰」では、もちろんダメなのだ。

専門知と対立し、それと隔絶する次元にリベラルアーツを「復興」するのではなく、高度に細分化され、総合的な見通しを失った専門知を結び合わせ、それらに新たな認識の地平を与えることで相対化する、新しいタイプのリベラルアーツへの想像力が必要なのだ。(21ページ)

筆者は、大学とは「メディア」だ、という。

・・・ますます莫大な情報がネット空間で流通し、翻訳され、蓄積され、検索され、可視化されていくなかで、大学にはやがて新しい世代が登場し、彼らは地球上のさまざまな知識運動と連携しながら知を編集し、革新的なプラットフォームを創出していくことだろう。・・・その時代には、都市や国家を基盤にするのではない、まったく新しいタイプの大学もデジタル化した知識基盤の上に登場してくる。

その萌芽はすでにあるのだろうか? ツイッターやネットなどで若い研究者の活動を眺める限りでは、あるような気がする。個人では、たしかに。だが、「制度」のほうは?
まあぼくは辺境から眺めるだけの人間なのだが。
覚え書きとして、目次を転写。

序章 大学とは何か
第1章 都市の自由 大学の自由
  1 中世都市とユニヴァーシティ
  2 学芸諸学と自由な知識人
  3 増殖と衰退 ― 大学の第一の死
第2章 国民国家と大学の再生
  1 印刷革命と「自由な学知」
  2 「大学」の再発明 ― フンボルトの革命
  3 「大学院」を発明する ― 英米圏での近代的大学概念
第3章 学知を移植する帝国
  1 西洋を翻訳する大学
  2 帝国大学というシステム
  3 「大学」と「出版」のあいだ
第4章 戦後日本と大学改革
  1 占領期改革の両義性
  2 拡張する大学と学生叛乱
  3 大綱化・重点化・法人化
終章 それでも、大学が必要だ
    (各章の数字はローマ数字)

コンパクトな大学史の本としても、勉強になり、楽しめる。