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川上未映子『ヘヴン』(講談社、2009年9月)

恥ずかしながら、川上未映子を読むのはこれが初めてである。ぐいぐいと読まされた。

ヘヴン

ヘヴン

これは、読者に対していくつかの問を示し、「考えなさい」と求めるタイプの小説だ。その問そのものは簡単に読み取れるようになっているし、それほど特異なものでもない。いじめ、善と悪、信仰、生きることの意味、家族関係などなど。むしろ、ありふれた、と言ってもいいかもしれない。
しかしそれを小説という形にまとめるセンス、力がすごい。構成のレベルでも、言葉のレベルでも。
主人公の「僕」の名前は最後までわからない。彼は斜視で、それがもとでひどいいじめにあっている。彼は徹底的に受け身の存在である。読者が感情移入する視点人物がそのような存在であるからこそ、作品内の世界を読者は彼と重なるように体験していくことになる。名前が明かされないことも、それを誘う仕掛けのひとつだ。行動せぬ無名の主人公とは、読者が作品のなかをのぞくための窓なのである。もちろんそれは構造として考えたときのことであって、たとえばここでは「いじめ」というもののもつ肉体性が、主人公を平板な役割的人物になることから救っている。しかも、彼は積極的に行動はしないが、ひたすら「考える」。
そしてこの主人公を通して見ることになる登場人物たちは、それぞれが作者の提出する問、あるいは謎、なのだ。コジマ、二宮、百瀬、それぞれが異なる問を体現している。その意味で、これはある種の寓話だと言っていいだろう。いちばん類型的な、理解しやすい登場人物である二宮を中心に、左右等間隔にコジマと百瀬が配されている。その三者のあいだを主人公は行き来しつつ、自分が生きる世界の意味を考える。同時に、読者も。
文体に関しては、これ以前の作品が特異な文体で話題であったことは聞いているので、ほかの作品を読んでみないと。ただ、このようなテーマをこれだけ平易で簡潔な文章で書けるというセンスはなかなかすごいと思う。たとえば「けっか」というような漢字の開きかたなど、この微妙な選択の感覚はなるほどと思う。
つまり、これはもしかしたら小説の読者として初心者であるような、主人公たちと同じ年代の人間、中学生や高校生に最適な作品なのではないか。もっと言えば、児童文学あるいは青少年文学として読まれうる小説なのではないか、というのが、一読したかぎりでの印象である。少なくとも、手元にある3刷りの帯にある「驚愕と衝撃!」「圧倒的感動!」「涙がとめどなく流れる−。」というようなことは、大人のすれた読者にはおこらないけれど、しかし自分が生きる世界に対峙するだけの勇気を与えてくれるような作品、ではあるだろうと思う。
こういうのが書ける人って、頭がよくてまじめでまともなんじゃないかな。バランス感覚にすぐれている、というか。

(11月4日追記。このような構造は、ひょっとしたらトーマス・マン魔の山』と似ているのではないか。ハンス・カストルプも、受け身の存在として、さまざまな人物の体現するさまざまな思想を受け止めて思考する。)