ホンダヨンダメモ(はてなダイアリー版)

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「WAMPAKU MONOGATARI」

とりあえず採点の第一波を乗り切ることができたので、池袋に行ってジュンク堂やリブロをぶらぶら。外の暑さは限度を超えている。池袋はなぜか妙に暑い気がする。強烈なコントラスト、写真を撮ったらほとんど白飛びして真っ白になりそう。
東口駅前の古めかしい名前の喫茶店に入ってアイスコーヒーを飲む。買った本をぱらぱら眺めていると、大学生くらいのカップルが入ってきた。ぼくのとなりの席にカバンを置くと、ふたりしてカウンターの方へ行く。おやおや、と思っていると、店員が「お席でお待ちください」と言っている。うーん、若者はスタバ方式がデフォルトなのか。
ついでに西武デパートでやっていた「宮崎駿が選んだ50冊の直筆推薦文展」を見に行く。入場無料。併設のショップで岩波少年文庫を2冊買ったら、「岩波少年文庫の50冊」というタイトルの「ミニ本」をくれた。

50冊のうちには、読んでいないものがけっこうある。ジャンニ・ロダーリ『チポリーノの冒険』なんておもしろそうだ。
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ネットの古書店に注文していた本が届いた。「WAMPAKU MONOGATARI」。ヴィルヘルム・ブッシュの『マックスとモーリッツ』(1865)の、明治20年(1887年)に出版された翻訳、その復刻版である(ほるぷ「復刻 絵本絵ばなし集」として、昭和53年に出た)。和綴じの本だ。

発行は羅馬字會。あの『新体詩抄』の外山正一や谷田部良吉が主導した、かな漢字を廃してローマ字書きを、という運動の中心である。この「WAMPAKU MONOGATARI」も、全編ローマ字書きである。6つの話のうち、第1巻が最初のふたつ、第2巻が次のふたつを訳している。1巻の訳者は渋谷新次郎、2巻が小柳津要人。
「WAMPAKU MONOGATARI DAI 1 WILHELM BUSCH ARAWASU SHIBUTANI SHINJIRO YAKU SU」(SHINJIROのOの上に横棒)、と表紙にある。
ちょっと中身を引用してみよう。

DAI ICHI NO WARUSA.

Hito no yashinau tori-kemono
Shurui wa sukoburu okeredo,
niwatori kau hodo tanoshimi mo
Rieki mo oki mono wa nashi.
Mazu dai ichi ni tamago wo e,
tsugini ni sono ke wo nuki-torite
Yagu ya foton no naka ni ire,
Fuyu no yosamu wo shinogubeshi.

なかなか良い。語り物の口調で、すてきに韻を踏んでリズムがよい。

ブッシュについては、ちょっと集中して読み調べてみたいと思っているのだけれど、日本の翻訳絵本のほぼスタート地点にこうして登場するのがまた興味深いところ。
手元にある「彷書月刊」1999年5月号(特集・近代絵本の黎明期)に、石川晴子という方が「WAMPAKU MONOGATARI 『マクスとモーリツ』―なぜローマ字で書かれたのか」という短い文章を寄せている。それによると、第1巻の翻訳者渋谷新次郎は当時22歳、「東京大学の法科に進んだ」と。「東京大学」は時代からして「帝国大学」とすべきところか。2巻の小柳は「当時丸善の支配人であった」。
むかし「『匙』の会」という集まりから同人誌として「匙」という雑誌が出されていて(創刊は1979年、ぼくが古本屋で手に入れて持っているのは1984年の9号まで、その後も続いたのかは知らない。創刊号には森毅が創刊の辞を寄せ、野村修、徳永恂、三原弟平、池田浩士、飛鳥井雅道などの文章が並んでいる)、その第2号(1980)と第4号(1981)に、石川光庸氏が「WAMPAKU MONOGATARI」に関する論考というかエッセイと、本文の図版、石川氏による翻訳が掲載されている。
石川氏は、訳者が実は巖谷小波では、という説を唱えている。なるほど、おもしろい。この本については、当時名古屋工大にいた伊東勉という方が1979年に論文を書いているらしい。
ヴィルヘルム・ブッシュ、気になるなあ。