ホンダヨンダメモ(はてなダイアリー版)

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芥川賞と直木賞

小説についてブログに書くのはなかなか難しい。
専門なのにな。
読み終わってすぐになにか言えるほど反射神経のある頭をしていないし、かといってしばらく寝かしておくと、書くタイミングを逃してしまう。
だからまあ、ここに書くことは読了直後のラフな感想程度、と思っていただきたい。
言い訳終わり。
今回の(第143回)芥川賞作品は外国語大学ドイツ語学科の話だということで、独文学科ではなくドイツ語学科というマイナーな世界が舞台とは、これは読まねば、と、京都と東京と場所を異にするとはいえ著者と同じく外国語大学ドイツ語学科卒としては思い、平積みになっていた単行本を買って読んでみたのだ。赤染晶子乙女の密告』(新潮社、2010年7月)。

乙女の密告

乙女の密告

で、うーん。
外国語大学は女性の勢力圏である。この小説も、語られるのは「乙女」たちの話。外国人教授が女子学生たちをそう呼ぶのだ。「乙女」たちはドイツ語でのスピーチコンテストに向けて練習に余念がない。主人公のみか子の属する2年生は、『アンネの日記』=『ヘト アハテルハイス』の一節を暗唱することになっている。しかしそこにある噂が広まることで、主人公(たち)の苦悩が始まる・・・。
大学生の「わたしって何者?」的葛藤を、必ず同じ箇所を忘れてしまうというフロイト的仕掛けとか、ある種の「呪文」で解放されるとか、で物語っていくというのは、おもしろい。
ホステスをしている主人公の母や母と住む京町屋の家の描写など、ユーモラスでかつ雰囲気を十分に伝えていて、著者の本来の資質はこういうところにあるのだろうな、と思わせる。
でも、やっぱり、この女子大学生たちの切実ではあるだろうがありふれた、とても小さな世界でのドタバタと、『アンネの日記』が背景として持つ複雑かつ「大きな物語」とは、そう簡単には接続できないだろう、ちょっと無理筋だったのではないか、という感じはいなめない。
とくにバッハマン教授は、こういうふうに登場人物を作者が「使う」のはまずいのでは? 「他者」がテーマなのに、作者の思想的分身のような人物が作品内で絶対的審級として白黒つけちゃう、っていうのはどうだろう。しかもことがユダヤ人差別の問題に関わっているのでもあるし。
著者の不思議なユーモア、文体を、もっと違う形で味わってみたい。
本屋でこの本のとなりに積んであった、直木賞受賞作の中島京子『小さいおうち』(文藝春秋、2010年5月)も、かわいい装丁に惹かれて一緒に買って、読んでみた。
小さいおうち

小さいおうち

東京郊外に建つ赤い屋根の「小さいおうち」、玩具会社の重役とその美人の妻、その妻の連れ子(妻は再婚なのだ)の男の子の住む家。時代は昭和の初め、満州事変から「大東亜戦争」が終わるまで。その家に奉公していた「女中」が現代、米寿になるころに残した手記、という形の物語。
おお、猫村ねこ? 
気持ちよく楽しめる、すてきなお話。仕掛けもよくできてる。
「戦時中」の生活と聞いて我々が抱くイメージを相対化するという意図を作者は明確に持っていて、それは成功しているのではないかと思う。
ノスタルジーもうまく利用して。直木賞にぴったり。