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ニック・ホーンビィ『ガツン!』(福音館書店、2009年10月)

ガツン!

ガツン!

アバウト・ア・ボーイ』のニック・ホーンビィが書いた、YA小説。原著は2007年刊、原題 "SLAM"。
スケボーがコンクリの地面の上でひっくり返っている、今風のハイキー調のおしゃれ写真が表紙、シンプルな装丁。で、出版社を見て、え、福音館なの、とちょっとびっくりする、という本なのだ。
15歳のサムが「ぼく」で語っていく一人称の物語。ホームパーティで知り合った(というか、お互いの母親同士によって知り合わされた、というのか)アリシアとつきあい始め、夢中になり、毎日会ってそしてああいうことをして、しかしサムは次第に冷めてきて(それが15歳だ)、というところでアリシアに妊娠を告げられる・・・。
というようなお話が、たっぷりとユーモアをちりばめつつ、語られる。
おもしろく読んだのだけど、いくつか留保はあるかな、という感じ。シリアスなテーマを深刻にならずカラっと描いているところは、この作品の一番良い点だ。ベッカムグリーン・デイ、コールドプレイ、ブレア、などなどの固有名詞が、「今」の物語であることを補強している。
物語の骨組みとしてまず、サムと母との関係がある。サムの母は32歳、つまりサムと同じような「失敗」をして16歳でサムを生み、結婚生活も10年で終わって、それ以降はシングルマザー。そのことが、母とサムとの間に微妙な関係を生んでいる。

「何にパニックしたの?」
「わかんない。いろんなこと。アリシアと別れたこととか。学校のこととか。母さんと父さんのこととか」
母さんが最後の部分に反応するのは、計算済みだった。
「わたしとあなたのお父さんのこと? でもわたしたちが離婚したの、もう何年も前なのに」
「うん。わかんないけどさ。なんだか突然、そのことがずしんときたんだよ」
まともな神経の人だったら、きっと鼻で笑っただろう。しかしぼくは自分の経験から、親ってのは罪の意識を感じたがるものだとわかっていた。(200ページ) 

一方でアリシアの両親はといえば、父親は大学の先生、母親は区議会議員。
だから簡単に言えば、現代の複雑な家庭環境・親子関係を縦糸に、社会階層の問題を横糸にして、そこに青少年の性、十代の妊娠の問題をはめこんだ、という小説なのである。
こうやって書くと、うわあ暗そう、という気がするけれども、それを救っているのが、ユーモアと、ハッピーエンドと、ちょっとファンタジックなある仕掛けなのだ。
サムが持っている、架空の話し相手。その存在(?)によって、未来をかいま見させられること。
それはサムに、ちょっと大げさに言えば、自分の人生について一段深い認識をもたらすことになる。よく考えると安直なハッピーエンドに思える結末も、なんとなく読者に納得させてしまう。そのための、仕掛け。
こういう仕掛けっていうと、たとえば森絵都の『カラフル』を思い出す。どんなものかはないしょにするけれど、ファンタジックな存在としての話し相手/援助者と、それによって異なる時空へと飛ばされるという点で、『ガツン!』と『カラフル』は共通している。
もちろんそれは、物語全体を構成する重要な仕掛けであると同時に、「児童文学」あるいは「YA小説」として、読者にシリアスな状況を物語として伝える・もたらすための、やりかたでもあるのだろう。
でもねえ、『ガツン!』のほうは、日本の若い読者に届くだろうか。いかにも「欧米か!」(古い)という感じのユーモアとか、2000円近い定価とか。頻出する固有名詞も、逆に日本の十代を遠ざけるような気もする。あと、アリシアはいい子すぎ。出てくる人も、みんないい人。全体にポリティカリーにコレクト。それで主人公はきれいに救われちゃってる。そういうイギリスのお話を楽しめる人なら。
いや、でも、15歳は、救われていいのだ。それに、海外文学に関わる身としては、できればそういう外国の小説も楽しめる子ども・若者が増えて欲しいしね。