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西原理恵子2冊。

毎日かあさん5 黒潮家族編』(毎日新聞社、2008年12月)と、
『この世でいちばん大事な「カネ」の話』(理論社、2008年12月)。

毎日かあさん 5 黒潮家族編

毎日かあさん 5 黒潮家族編

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)

最初から、西原理恵子にはかなわない、と思っていた。何が、というのではないけれど、体を張って生きる人間のまっとうな倫理観を、『ちくろ幼稚園』や『まあじゃんほうろうき』のころから感じていた。
同じ世代(ぼくと同じ歳だ)にこういうひとがいる、ということの安心感のようなもの。キャパシティの大きな人だなあ、と。
今月出た作品、片方は家族の話、男と女の話であり、もう片方は「カネ」の話である。そして、そのふたつは一体のものなのだ、というのが彼女の基本的な「倫理」だ。
「家族」と「仕事」。人を大切に思うことと、生活を支える仕事があり、そこから得られる金があるということとは、直結している。
体を動かせ。体験せよ。自分が戦えるフィールドを客観的に把握し、そこに持てるリソースをすべてつぎ込め。
貧乏には出口がない。世代を越えてそれはとりつく。
バブルのころに(西原がデビューしたのはバブルの頂点のころだ)、あるいは村上某が「金を稼いで何が悪い」と言っていたころには、西原の持つそのような倫理は「無頼」か「センチメンタル」のどちらかに分類されて消費されていたのだった。
しかし、今、それをストレートに語ることが人々の感覚にフィットする、という時代がやってきた。
朝日新聞社主催の大佛次郎論壇賞に、湯浅誠の『反貧困−「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書)が選ばれる時代。
西原のこれまでの人生の進み行きはその間の時代の変遷にふしぎとシンクロし、彼女はそこにタイムリーに、しかし根本の軸はぶらさずに、作品を提供してきたのだ。頭の中でこさえたものではなく、実体験から生まれた物語として。

働いて子供を育てて
夫を見送って
わたしのやってることは
世界中のぜんぶの女がやっていることで
いやあ人生はたのしい。

(『毎日かあさん5』44ページ、「見送って」…西原の夫、鴨志田穣氏は昨年死去)
というセリフは(画面は「かあさん」の後ろ姿)、西原理恵子が言うからこそ、素直に受け取れるのだ。
毎日かあさん』は、テレビアニメになるんだって。