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『ヨーロッパ人相学 顔が語る西洋文化史』(白水社、2008年7月)

ヨーロッパ人相学―顔が語る西洋文化史

ヨーロッパ人相学―顔が語る西洋文化史

ヴァルター・ベンヤミンの『子どものための文化史』は、きらきら光る宝石のような文章がたくさんつまった本だが(ラジオにおける講演の原稿集)、その中に「魔のベルリン」という章がある。E.T.A.ホフマンについて語ったその文章の中で、ベンヤミンはホフマンをAnseher=Physiognomikerだ、つまり観相家だ、と言う。何を「観相」していたのか。ベルリンと、そこに住む人々を。ホフマンは観察を通して、「変なもの」、「霊」、「超感覚的なもの」を探り出し、紡ぎ出す。
ホフマンが語る世界では、複数の眼差しが交錯し、そのつど新たな物語が生み出される。そこでは、すべてを見通す超越的な視線はもはや成立しない。同時代の多様な文化的・社会的・文明的要素を担った、それらの結節点としての個人が、ものごとの表面的な現れの中に、異なるストーリーを見いだしていく。それが、「近代」における視線のあり方だ。
断片化・多元化する「眼」。多木浩二いわく、19世紀では「もはや「見る」ことは、肉眼で見ること、知覚することを越えて、何かを読むことにほかならないし、そのときに用いる道具、あるいは装置が「眼」の役割を果たすようになった」(『眼の隠喩』)。「見ること」を媒介とした「自己の解体」と世界の解読が進行しつつある社会の中で、ホフマンは狂気をめぐる物語を書いた。そのような時代の到来を、ベンヤミンは「観相家」ということばで予告しているのだ。
ベンヤミン自身がなにより「遊歩する観察者」であったのは、周知のことだろう。ジョナサン・クレーリーは、『観察者の系譜』の中でこう述べている。「彼(ベンヤミン−引用者注)は、近代(モダニティ)というものが、観照的な見者(ビホールダー)の可能性自体をそもそも無効にしていくさまを明るみに晒すのである。(…)視覚は常に複数的であり、他のさまざまな対象や欲望やベクトルと近接したり、重なり合ったりしているのだ」。
もうひとつ、観相学ということで思い出すのは、クルティウスが『バルザック論』で、ラファーターの観相学バルザックの人物描写の重要なベースとなった、と論じていたこと。バルザックも、まさに「観る人」だ。ホフマンからバルザックへ、「近代的視線」は小説の中に、言葉の中に、定着していく。
ホフマンに戻れば、モチーフとしても「視線」はその作品の中にあふれるほど登場するわけで、「蛇のような視線」やバジリスクのごとき眼差しをまっ赤な目から発する人物とか(『磁気催眠術師』)、「邪視」の例には事欠かない。そんな視線とメスメリズムとの関係を鮮やかに描きだしたのが、マリア・タタールの『魔の眼に魅されて』。
というように、観相学やその代表としてのラファーター(ラーヴァター、ラヴァーターとも)に関心があったところに、この『ヨーロッパ人相学』が出た(浜本隆志・柏木治・森貴史編著)。目次をみると、全5章のうち、最初の2つが観相学の歴史的説明のようだ。「鏡」と分身を扱った論や、「魔の視線」、「邪視とまじない」といったタイトルもある(執筆者はぜんぶで5人)。ということで、買って読んだ。
「人相学」とタイトルにあるが、観相学に関してははじめの2章分だけで、あとはゆるく「顔」に関わる内容の文章が並んでいる。ほとんどは、「概説」と言うべきもの。その意味では、参考になるところが多かった。特に観相学に関するものと、あとはグリーンマンを扱った部分(よく調べてある)、「赤毛の両義性」という文章が、なるほど、と。全体として、残念ながら最初に書いたようなぼくの関心と、直接に関わるレベルまでの言及はなかったけれど(タタールの名前も出てこなかった)。盛りだくさんな内容だから、仕方ない。