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エリザベート・ツェラー『アントン』(主婦の友社、2007年12月)

アントン―命の重さ

アントン―命の重さ

ナチ政権によるホロコーストの本を読んで、この作品を思い出した。本屋に行って買ってきて、読む。中村智子訳。原書は2004年にFischerのFischer Schatzinselから。2005年にグスタフ・ハイネマン児童文学平和賞を受賞している。
ナチス絶滅収容所における、ガス室を用いたユダヤ人虐殺に先立って、障害者の殺害が組織的に行われたことは、日本ではあまり知られていないのではないか。「安楽死」作戦、コードネームT4(ベルリンのティアガルテン4番地に拠点があった)。そこでの人材、経験が、後のユダヤ人殺戮に生かされていくという経緯は、以前紹介した芝健介『ホロコースト』で詳しく説明されている。
背景には、優生学的思想がある。優生学、衛生学。この時代のそれらは、学問的装いをまとった、障害者排除の思想だった。一方で「健全」かつ頑健な肉体をほこらしげに掲げ(ルドルフ・ツィーグラーのヌード絵画、レニ・リーフェンシュタール『民族の祭典』……)、一方で「劣等遺伝子」を力ずくで排除していく。
『アントン』は、児童文学として、この障害者の組織的殺害を描いた作品だ。自動車事故で脳に障害を負い、言葉と体が不自由になったアントンは、第二次世界大戦が進むにつれて、「施設」へ送られてしまう危機に直面する。モデルは、著者の叔父だという。こんなふうに、極めて非人間的な歴史的出来事を子ども向けの作品としてストレートに描くというのは、日本では(マンガでは『はだしのゲン』などがあるけれど)ほとんどなされないのでは。抑制した語り口で、事実の重さを読む者に確かに伝える作品となっている。
用語の問題として、現在、ドイツ史の専門家はナチスの正式名称に関して「国民社会主義ドイツ労働者党」という訳語を用いている。Nationの解釈の問題。明らかにこの言葉は、ナチスの中では「国民」とか「民族」といったものに向けて使われている。近代国家の政党として、nation state(国民国家)の代表として、自己をプロパガンダしているのだ。
あと、ドイツ語教師としてひと言、著者の名前Elisabethは、どちらかというと「エリーザベト」に近い(もちろん訳者はそんなことは承知の上で、日本で慣用となっている表記を採用したのだ)。「リー」にアクセント、ね。「エリザベート」だと、「ベー」にアクセントがきてしまう。「エリーザベト」だから、愛称が「エリーゼ」になる。日本語ってふしぎなことに、カタカナ言葉っぽくするのに最後をのばしたがる。薬の名前にたくさんあるよね。アリ用の殺虫剤が「アリトール」だったり、「胃にベール、セルベール」だったり。「カルーセル麻紀」さんも、みんな「カルセール」って言ってたりする。どうでもいいことだけど。