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ダニエル・ケールマン『世界の測量』(三修社、2008年5月)

世界の測量 ガウスとフンボルトの物語

世界の測量 ガウスとフンボルトの物語

Daniel Kehlmannの2005年の作品、Die Vermessung der Welt(Rowohlt Verlag)の翻訳がようやく出た(瀬川裕司訳)。訳文も信頼の置けるものだが、ドイツ語で読みたい。詳しい感想は、それからかな。
ドイツ国内で超ベストセラーとなり、世界的な評判もますます高まっているケールマン。たしかに、知的好奇心と娯楽性をともに満たしてくれる、とてもおもしろい作品だ。小説読みがぐっとくるツボを、たくみに押さえてる。
数学者のガウス、地理学者というか冒険家というか、のフンボルト。このふたりを主人公にすえた時点で、もう成功の何割かは約束されたようなものだ。基本的に紙とペンのみ、いや頭の中だけで仕事のできる人間と、未知の世界へと踏み出す人間。抽象的世界と、きわめて具体的・即物的な世界。なるほど、この対比は魅力的。
けれど、実はもうひとつ、作者はこっそりと二項対立を潜ませている。ガウスは、ときに未来をかいま見る(SF的というか、ファンタジックな形でひょいと語られる)。(作品内の)現在からの展開として必然であるところの未来。(我々が生きている)現在の科学技術を理論的に支えている非ユークリッド幾何学の(潜在的創始者のひとりであるガウス。それに対して、大航海時代はすでにだいぶ前にその頂点を過ぎていたこの時期に、世界へと乗り出していく、徹底的に「目の前の現象」、現在というものに沈潜するフンボルト。ふたりが出会うことで未来と現在・過去が交錯し、作品内に大きな歴史の流れが導入されることになる。
作者もこの作品の中で暗示しているように、ユークリッド幾何学から非ユークリッド幾何学への展開は、世界を把握する「知」の大転換を意味する。そして、クックを頂点とするだろう太平洋への探検も、やはりヨーロッパの知の変容を背景としているということは、多木浩二が『船がゆく キャプテン・クック 支配の軌跡』(新書館、1998年)で鮮やかに描きだしている。測ること、記録すること、採集すること。その背後には、生まれつつある「帝国」の、「資本主義」の、つまりは「近代」の視線/支配の意志がある。作者はこの作品のテーマのひとつとして「ドイツ的であること」とは何か、という問題があると言っているが、そこにとどまらず、ヨーロッパ全体が、その「知」のあり方の根本が、描きだされているがゆえにある種の普遍性を獲得しているのではないか。
ええと、つまり、「しょうがねえじいさんたちだな」というレベルと、うんと知的なレベルとが巧みに「小説化」されていること(意識的な文体選択もふくめて)、それがこの作品の大きな魅力なんだろうね。