ホンダヨンダメモ(はてなダイアリー版)

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「オルセー美術館展2010 ポスト印象派」

週末、美術館の前で妻と落ち合って、国立新美術館オルセー美術館展を見る。金曜の夜は8時までやっているのだ。
少し待てば絵の前に立って見ることができる、というくらいの混み具合。
内容はここで紹介するまでもないだろう。
最初の「1886年ー最後の印象派」はモネが中心、これはあくまでもこの展覧会の導入部、前置きだ。次からが本題、スーラ、セザンヌロートレックゴッホゴーギャン、と続く前半部は、確かに圧巻といっていい。画面に包まれる幸せを存分に味わえる。
だけど、この展覧会ならではの見所は、むしろ後半かもしれない、と思った。チャプター6は「ポン=タヴェン派」。エミール・ベルナールの「水浴の女たちと赤い雄牛」や「収穫」、「愛の森のマドレーヌ」、「日傘を持つブルターニュの女たち」。なるほど、前半部を見たあとにこうやって並べられると、この画家の特質がよくわかる。それから、チャプター7「ナビ派」のモーリス・ドニ。「テラスの陽光」、「カルヴァリオの丘への道」、「ペロス=ギレックのレガッタ」、そして「ミューズたち」と「木々の中の行列」。こういうのって、本家のオルセーに行くときっと見逃しちゃうんだ。
そんな風に見てきて、ポンとモローの「オルフェウス」やルドンがくれば、モネからの全体的な流れが納得される、という仕掛け。よくできてる。象徴主義ハンマースホイクノップフの女性の肖像画を見るための準備もなされるというわけだ。
そしてアンリ・ルソーが、ばーん、と。その突出と空前絶後の度合いのすごさ。「戦争」と「蛇使いの女」は、やっぱり実際に絵の前に立って圧倒されなければ。
しかしここで終えずに、最後を「装飾の勝利」という章で締めたところも、なかなか教育的なのだ。時代は世紀末、アール・ヌーボーなりユーゲントシュティールなりが登場する必然性が、モネからひとつづきのものとして了解される。なるほど。
あとひと月ほどやっているから、また行ってみようと思う。今回行かなかったマン・レイ展もあわせて。