ホンダヨンダメモ(はてなダイアリー版)

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ヤー・ヤー・ヤーズを聞きながら声について考える

今日の読書のBGMはヤー・ヤー・ヤーズの『It's Blitz!』。

イッツ・ブリッツ!

イッツ・ブリッツ!

去年の秋頃に買ったものだけれど、映画になった『かいじゅうたちのいるところ』を見逃してしまったかな、などと考えていたらそういえばサントラはヤー・ヤー・ヤーズのボーカル、カレン・Oが歌っていたんだっけ、と思い出して、久しぶりにかけてみた、というわけ。
グラミーにもオルタナ・ロックの部にノミネートされていたし、かなり評判になったアルバムである。これは3作目とのことだが、ぼくはこれしか持っていない。最近、来日公演もあったらしい。
とても好き。奔放だが妙にぐっとくる瞬間のあるカレン・Oの声がよい。かすれ具合、揺れ具合が心地よい。シンセが前面に出ているようだが、それもなんとなく懐かしいような。"Dull Life"という曲がお気に入りである。

It's a dull life its dull life It's dull life
It's a dark place

さて、声と言えば、女子のカーリングである。
冬のオリンピックで肉声が飛び交うのはカーリングだけではないか。そして、ご存じの通り、競技はかなり特殊な掛け声で満たされる。
それを聞いていてすぐに気がつくのは、他の国の選手と比べたときの、日本チームの選手たちの声の異質さだ。あきらかに、突出して高い。
ほとんどがヨーロッパ人なのでその限りの話だが、他の国の選手の声はほとんど怒鳴り声である。腹の底から低い声で発している。
年齢も若めで、かわいらしくメイクをして、頭のてっぺんから高い声を出している日本チームは、どうしたって異質な感じを発散している、ように思えるのだけれど、どうだろう。
日本語とヨーロッパの言葉の、発声法の違いが、まずあるだろう。もちろん体の大きさも関係してるかも。それに加えて、特に女性において、高い声をポジティブなものとして受け取るという感覚が、日本語には(ノンヴァーバルな要素として)ある。
それがジェンダー・バイアスなのかどうかはよく考えてみないといけないけれど(男も目上の人などと話すときは声が高くなることがある)、すくなくとも、彼女たちが低くドスのきいた声で「ヤー」とか「ウォー」とか叫ぶ姿は、ちょっと想像できないのだ。
ドイツのYA小説、タマラ・バッハの『火星少女』 ("Marsmädchen")は、小さな町の"dull life"にうんざりしている高校生の女の子の話だけれど、主人公があこがれている上級生の女の子についてこんなふうに言う。

あんなふうになりたいな。あの人ってほんとすてき。背が高くて、目がきれいだし、髪の毛も手もウエストもバストも、なんかいいんだ・・・。
話すときの手の仕草が、これまた見とれちゃう。声もすてき。低く響く声。よどみなく、言うべきことをきちんと言う、って感じでしゃべる。

すてきな声を形容するのに、dunkel、英語ならdarkという単語を使っている。高校生の女の子の声をほめるのに、日本ではそのたぐいの言葉は使わないだろう。
でも、電話に出ると急に声が高くなるのって、ある年代から上の人かな。
ぼくはといえば、知らない人や目上の人と話すとやっぱり声が高くなりがちなのが、いつもちょっと自己嫌悪になるのである。