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国広哲弥『新編 日本語誤用・慣用小辞典』(講談社現代新書、2010年1月)

新編 日本語誤用・慣用小辞典 (講談社現代新書)

新編 日本語誤用・慣用小辞典 (講談社現代新書)

日本語の「誤用」、やってしまうのだ。これはもう、自分で気がついたらこつこつ直していくしかない。
間違った言いかたを子どもの頃になんとなく覚えてしまった、というのが、一番たちが悪いのだ。書き言葉でしか出てこないようなのが、あぶない。
このあいだも、「華やかなりし」を「華やかりし」とやってしまった。知識としては前者が正しいと知っているのに、最初に変なふうにインプットされたから、どうしても間違って書いてしまう。
というわけで、こんな本を読むのである。
「旧編」のほうもそうだったけれど、単なる「豆知識」的な、正誤の羅列的な本ではない。
誤用のタイプを分類し、その背後にある、誤用に至るプロセスなり論理なりをきちんと説明してくれるのである。
「ことば」の仕組み、論理がおのずとわかってくるように書かれている。
だから、おもしろい。
たとえば、「まじる」と「まざる」。たしかにこのふたつの言葉の違いを説明するのはむずかしい。
「上げる」(他動詞)と「上がる」(自動詞)、「変える」と「変わる」のように、他動詞と自動詞が対になった動詞があり、「有対動詞」と呼ばれたりする。
しかし、「まぜる」(他動詞)の自動詞形は特別で、「まじる」と「まざる」のふたつある。
「まじる」のほうは万葉の時代からあるが、「まざる」は19世紀になって登場したらしい。このふたつは、意味を補完しあっているのだ。
「まじる」がもともと、少しの異質なものが多くの中にはいっている、という意味や、動作主の自律的な動作を示すという、ちょっと偏った意味を持つ動詞だったので、「結果としてそうなっている」というような他律的意味関係をあらわすために、「まざる」という形が導入された、と。
あとおもしろいのが、「代換表現」というやつ。この本に上がっている例では、「横車を押す」という言い方がある。「横車」という車があるのではない。「横」は「押す」と結びつくのである。「横から押す」ね。その「横」を、「車」という名詞に移した形にしてあるのだ。
「大酒を飲む」「大手を振ってまかり通る」「薄目をあける」などという言い方が紹介されている。これらは誤用ではないのだけれど、この論理が誤用につながることもある。
例として挙げられているのは、「失礼すぎるほどていねいな説明」。これは、「失礼なほどていねいすぎる説明」であるべき。「すぎる」が移動してしまったのだ。
それから、「ら抜きことば」については、著者の説明が、やはりいちばん納得できるように思う。
五段活用の動詞の「可能動詞」形に関わって、「母音語幹動詞」と「子音語幹動詞」という概念を用いて、「ら抜き」へ向かうプロセスの必然性を説いている。
このあたり、詳しく調べてみたい。
「乳離れ」、「ちちばなれ」と読んでいた! 間違いだった・・・。