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福井健策『著作権の世紀 ―変わる「情報の独占制度」』(集英社新書、2010年1月)

前回の話題とも関わるところの、著作権の話。
例の「グーグルブック検索」の問題にしても、テレビ放送の録画や音楽CDのコピー・コントロールの問題にしても、デジタルとネットの時代になって「著作権」というものが一般の人間にも日々関わってくるようになった。
でも、著作権というのは、簡単そうで、わかりにくい。まあわかりやすい法律などないのだろうけど。
この本は、著作権という分野において現在問題となり、議論されているトピックを、具体例を挙げてわかりやすく説明しているのである。おもしろかった。ちょっとメモしておこう。
著作権とは、情報を独占する制度なのだった。しかし同時に、その情報を皆に開示し、メディアを通じて手渡していかなければ、「対価」は手に入らない。そのような矛盾をはらんだものなのだから、たとえばメディアの変化に応じて「独占」と「公共」の境目は変動するのが道理である。
あと、「権利」意識やプライバシーを守ろうという意識の高まりによって、本来の著作権で扱われる問題と、「肖像権」とか「パブリシティ権」といった問題とがまぜこぜに語られることで、よけいわかりにくくなっているように見える。
よく考えたら、人の顔は「著作物」ではないよな。でも、芸能人の顔は「商品」だ。そこで「パブリシティ権」というものが設定された。肖像権やパブリシティ権の問題は、写真家の作品作りにも影響を及ぼしている。それと、「モノ」にはパブリシティ権はない、とのこと。そもそも、「実用品」には著作権もない。また、建築の著作物には撮影その他の利用は自由だと認められている、と。
あとは、論文などで「引用」にあたるかどうか、が我々にとっては問題だろうか。
クリエイティブ・コモンズ」とか、「おふくろさん騒動」とか(法律的には、作詞者が歌うなと言っても、改変さえしなければ歌えたのだ、とのこと。音楽の著作権処理は、ほかのと違って特殊なようだ)、デジタル・アーカイブの問題とか、「フェアユース」とか、いろいろとおもしろそうなトピックがある。
著作権は、「文化」や「創造」と関わるものだから、時に応じてフレキシブルでなくてはならないだろう。そこに難しさとおもしろさがある。「コミケ」や同人誌などが、「マンガ」というジャンルにとって創造的役割を果たしきた、ということを考えても、グレーゾーンを完全に切り捨てるわけにはいかない。
大事なところを一節、引用。

何が許される利用で何がそうでないのか、フェアユース規定の導入にかかわりなく、その境界線はもともと曖昧です。それが、著作権という制度の本質から生まれる、限界でもあり奥深さでもあります。法律の基本的なルールを理解しつつ、自分の頭で作品を利用する必要性とリスクを判断し、とるべきリスクはとる。情報流通のあり方が大きく変わりつつある社会では、そうした姿勢はますます大切になるように思います。(180-181ページ)

「創造」は「リスクをとる」こととつながっているのだ、ということをまずは押さえておきたい。