渡辺公三『闘うレヴィ=ストロース』(平凡社新書498、2009年11月)
10月30日に、レヴィ=ストロースは亡くなった。100歳である。知的にも身体的にも傑出していたのだなあ。
内田樹のブログに、レヴィ=ストロースの同時代には、
アルベール・カミュ、ジャン=ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、モーリス・メルロー=ポンティ、モーリス・ブランショ、ジョルジュ・バタイユ、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、ロラン・バルト、レイモン・アロン、エマニュエル・レヴィナス・・・
この人たちがほんとうに狭い知的サークルにひしめいていたのである。
とあった。
ある時代のある地域に、これだけの人たちが生きていたということのすごさ。とんでもないことだ。
渡辺公三『闘うレヴィ=ストロース』は、出版の時期から言って、もちろん死去をきっかけにしての企画ではないが、結果としてその死の直後に出版された。
帯に、「第一人者による最良の入門書」とある。確かに読み応えのある、内容の濃い本である。そして「入門書」でもあるだろう。けれど、「入門書」というのは往々にして、第一次文献を知っている人間でないとその内容をきちんと捉えられないものだ。この本も、『親族の基本構造』や『野生の思考』、『悲しき熱帯』、『構造人類学』あたりは読んでいるが、『神話論理』は読んでいない、というくらいの人に向けての入門書、という感じだった。
レヴィ=ストロースが、なぜ南北アメリカの先住民の神話についてあれだけ膨大な研究をなしたのか、その意味とはなんだったのか、その背景をレヴィ=ストロース自身の「生」と重ねながら探っていく。「西洋文明批判」の本当の意味が、最後まで読むと納得される。
他者に対して開かれ、他者の存在を自己に取り入れ、かつ自己と他者の差異の宿命的な拡大に寛容であること。それこそが、アメリカの先住民たちの神話から読み取れる彼らの「思考」形態なのだ、と。
流行り廃りを超えて、いつまでも読まれ続けるべき人だ。