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スティーブンスン『ジーキル博士とハイド氏』(村上博基訳、光文社古典新訳文庫、2009年11月)

ジーキル博士とハイド氏 (光文社古典新訳文庫)

ジーキル博士とハイド氏 (光文社古典新訳文庫)

言わずとしれた、「ジキルとハイド」。1886年の作品である。恥ずかしながら、今回初めて読んだ。
短編と言ってもよいだろうこの長さで、これだけのサスペンスを語る力に圧倒された。おもしろい! 『宝島』も好きだけれど、これもいい。人間の内部に潜む悪、秘薬、変身、二重性。そして、舞台となるのは暗く霧の立ちこめるロンドン、マッド・サイエンティストのあやしげな実験室。そんなゴシック的道具立てに強く引き込まれる。
基本的には、寓話と言っていいだろう。それゆえにわかりやすい。刊行時、『宝島』よりもこちらのほうが圧倒的に売れたとのことだが、それにはこの寓話的性格が与っているのだろう。しかし、同時にこの作品の魅力は細部の描写にある。
たとえば、この作品の基本の色は、黒(=闇)と赤。その2色で埋め尽くされていると言っていい。「カルー殺人事件」の章で、

このあたり、霧の朝は宵の口のように薄暗くなり、そのなかにぼーっと赤褐色の光がさして、不思議な大火の炎明かりを思わせる。(44ページ)

「手紙の一件」の章では、

霧はまだ街をどっぷり浸けて、その上に眠り、街には灯火が赤い宝石をちりばめてまたたいていた。たれこめて、なにもかもをくぐもらせ押し殺す濃霧のなかを、都会の生命の血流が大動脈を伝い、烈風を思わすうなりをともなって、流れ込んでくる。だが、室内には燃える火の明かりがかもす心地よい雰囲気があった。(53ページ)

アタスンの持つ赤いハンカチ、ジーキルの部屋の赤いラシャ張りのドア。街灯の赤い光、暖炉の赤い火。要所に登場するワインは、すると赤ワインだろうか。「血流」ということばも(原語はなんだろう)数度登場する。赤は炎、血液、精神の奥にともる情念。酒と炎は親戚だ。どちらも身と心を欲望へと駆り立てる。
それにしても、ジーキル/ハイドの欲望は、具体的にどのようなものに向かっていたのだろう。もちろんそこを描かないことが、この作品に普遍性をもたらしているのだが。
そう、訳文もとてもいいのだ。