ホンダヨンダメモ(はてなダイアリー版)

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Spiegel Specialの記事:Visual Keiの話

 Der Spiegelの特別号Special、2009年第1号は、20歳から35歳までのドイツの若い世代特集。巻頭のエディトリアルによれば、若者たちは定着をせず、グローバルに思考し、常にネットとつながっている、そしてそれ以前の世代が経験したことのない大きな危機のなかに生きている。自分たちをアイロニカルに「危機の子どもたち」と読んでいるのだ、と。
 その記事の一本に、"Visual Kei”いうタイトルのものがあった。目次には、「世界でもっともsanft・・・ソフト、優しい、穏やか・・・な若者文化が性の区別を溶解させていく」という副題が。
 82ページからの記事のタイトルは、"Das Reich der Sanften"、「穏やかな人びとの王国」。ヒッピーたちはセックスを求め、パンクスは破壊し、レイヴァーは踊る。では「ヴィジュアル系」は何を求めるのか? コミックのなかにのみ存在する世界に生き、仮装し、バイセクシュアルで、日本語を学ぶのだ・・・。ちょっと内容を紹介してみよう。
 まず紹介されるのがA-chan、22歳。彼の周囲を、ロリータ・ファッションの女の子たちが取り囲んでいる。女の子たちはみんな、あらっぽくて無神経でえばってるような男にうんざりしてる。だから、ぜんぜんそうじゃないA-chanは大人気なのだ。そして彼も今、幸せを味わっている。ゴシック・ロリータ、スイート・ロリータ、パンク・ロリータ、ヴィクトリアン・ロリータ・・・たくさんの不思議な格好の女の子たちといっしょにいることが、幸せ。Visual Keiという若者文化のなかはまるでメルヘンの世界のようにfremde Wesenとかfremde Zeichenであふれているし、現実の世界の決まりごとからも自由だ。
 日本の80年代に生まれた「ヴィジュアル系」は、世紀の変わるころにドイツにやってきた。X-JapanBuck-TickDir en grey、化粧をして、女性のような格好をしているバンドたち。外見こそがメッセージ、すなわち、オレを見ろ! ファンたちもその格好を取り入れて、そこにマンガやアニメの要素を加え、街に繰り出した。イカれた格好の子たちが原宿に集まる。
 そうこうするうちにシーンは拡大し、ドイツでも週末になると各地で集会が開かれるようになる。ヴィジュアル系のショップ、ドイツ人のヴィジュアル系バンドやヴィジュアル系デザイナーが生まれた。ファンたちはネットのポータル・サイトに集まって、いろんなグッズや情報を交換しあっている。
 A-chanがイヤだと思うのは、「Emo(これも音楽のジャンルの名前)」とかTokio Hotelとごっちゃにされること(EmoのやつらがHideを知ってるか?)、それから同性愛だと言われること。
 ビジュアル系っていうのは他の若者文化ではちょっとないほど複雑な世界だけれど、それはすべてがあっという間に広まり消費される今のネット世界では、とくに大きな特徴ではない。ポイントは、日本語が(ちょっとくらいは)わかるってこと。まずは、マンガとか好きなギタリストとかから採ったニックネームを自分につけることから始めよう。ヴィジュアル系文化が暗号めいているのは、西洋人のよく知らない言葉や文字を持つあの日本という国からやってきた文化だから。ヴィジュアル系の人たちは日本になんて行ったことないじゃないって? だからこそいいのだ。そのほうが想像力は無限にはばたくんだから。そこは、若者が逃げ込める最後のニッチのひとつなのだ。
 ベルリン大聖堂の前の広場では、Visual Keiの子たちがはしゃいでいる。クスリや酒、暴力は禁止。集会の主催者のひとり、21歳のYamiは、「こころのたまご」。まんが『しゅごキャラ』にでてくるやつ。みんな、自分にあったキャラをみつけようとしている。ヴィジュアル系の子たちは、格好はおどろおどろしくても、みんな穏やかで平和的だ。桃の香りのアイスティーを飲みながら、ネットのサイトAnimexxで知り合った友だちと、ConHonに絵を描きあっている(ConHonは「convention」+「本」、Wikipediaによると、”Con-Hon oder ConHon ist eine unter Manga- und Anime-Fans sowie Anhängern der Visual-Kei-Szene gebräuchliche Bezeichnung für kleine Bücher mit leeren Seiten. Diese werden, vergleichbar den Poesiealben, im Freundeskreis oder auf Anime-Conventions herumgereicht mit der Bitte, kleine Bilder, meist im Manga-Stil, hineinzuzeichnen oder Sprüche und Grüße hineinzuschreiben. / Insbesondere in der deutschsprachigen Manga-, Anime- und Visual-Kei-Fanszene werden Con-Hons seit der Jahrtausendwende zunehmend beliebter und dienen oft als Ausweis der sozialen Identität und als Prestigeobjekt.”とのこと)。なかにはコスプレの子もいて、『ナルト』や『デスノート』の登場人物の格好をしている。みんな、いつも抱きあったりくっつき合ったりしている。Visual Kei以上に優しい若者文化は存在しない。日本人よりも礼儀正しいのだ。
 では、Visual Keiの子たちは何を求めているのか。なにをめざしているのか。彼らは、これまで生きてきた世界から自由になりたいと思っているのだ。この世界は、必ずしも彼らには良い世界ではないから。たとえばA-chan。彼は実は「彼」じゃない。本当の男のように見えるけれど、本名はアンネ、女の子だったのだ。11歳を過ぎたころ、友だちが急に彼女のことを笑い始めた。服装、話し方、短い髪型のことを。この頃、彼女は、自分が男の子よりも女の子のほうに興味があることに気づく。いじめられた。爪を肉まで噛んだ。カウンセリングにも行ったけれど、だめだった。彼女を救ったのは、日本から来た小包だった。
 近所の、当時唯一の友だちだった男の子が取り寄せたその小包のなかには、マンガとビデオゲーム、それとBuck-Tickという名前のバンドのCDが入っていた。ヴォーカルの格好がすごい。くにゃくにゃしていて、かわいくて、アンドロジナス。女性のようにふるまって、女性に愛されている。これっていいんじゃない? とアンネは思う。それで、アンネはVisual keiの男、A-chanになった。性転換なんてしなくても、化粧や服装を変えればいい。人と違うということは、恥ずべきことじゃなく、誇るべきこと。ヴィジュアル系の仲間たちは、レズとか言わず、みんな自分のことをふつうに「彼」と言ってくれる。女の子たちが自分を好きになってくれる。受けいれてくれる。
 Visual Keiの子たちの多くは、学校時代に悩んだり苦しんだりしていた。太ってるとかやせてるとか、うるさいとかおとなしいとか、普通すぎるとか変わってるとかいうことで。HikaruことUliは、走り方が変だと言われてからかわれていた。今では最高にチャーミングなゴスロリのShizaは、陰気な墓場女と言われてた。
 ここ、ヴィジュアル系の世界には、マッチョないじめっ子はいない。すべてが優しく、穏やかだ。あざ笑われる代わりに、抱きしめてもらえる。ここでは自分たちが主役、悪いやつは天国にはやってこないのだ。いかがわしいもの、ナボコフ的なものはない。小説のなかのロリータは早く大人になろうとしたが、ゴスロリの女の子たちやほかのヴィジュアル系の子たちは、できるだけ長く子どもでいたい、あるいは子どもに戻りたい、のだ。
 めざすのは、罪ではなく、無垢。サイアクなのは、50セントのセックスとか、シルベスタ・スタローンとか。彼らはポルノじゃない。女の子同士で体を寄せあって、ながーいキスをかわす。手を取り合うふたりが消えていく木々の間にあるのは、小さな魔法の森、寛容の森。その中では誰もが、そうしていたい自分でいられる。男、女、男−女、マンガのキャラクター、ポケモン
 Visual Keiの子たちは世界を変える必要なんてない。自分たちの世界を作ってしまったのだから。毎朝赤いお日さまがのぼる世界。彼らが大人になる日まで、身も心もフリーな世界。必要なのは、ちょっとした仮装と、日本語っぽく聞こえる名前だけなのだ・・・。