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川岡義裕・堀本研子『インフルエンザ パンデミック』(講談社ブルーバックス、2009年9月)

 朝日新聞の「天声人語」を批判するのは、もはやヤボなこと、ベタすぎてかっこわるいことになっているのだろうけど、しかし今日(9月23日)のやつは、久しぶりにふと読んでしまって、やはりひどい、いやむしろ、ふざけるな、と言いたい気分になった。
 「浪速恋しぐれ」の作曲家の、成績は悪かったが音楽と体育だけは得意だったという言葉を引いて、「秋。国語は嫌いでも歌がうまい、算数は苦手だが足が速いといった子の出番である。」と書く。もうこれにしてからが低レベルな紋切り型というか思考停止なのだが、そこから話は「そんな「学校行事の季節」を、新型インフルエンザが襲った」と続いていく。
 現在の休校・学級閉鎖の状況を述べ、全校行事は感染を広げかねないとし、「先生方もつらい」という。

練習の成果を披露し、元気を発散する場を奪う形になるから、〈予防のためなら生徒も泣かす〉とはいきにくい。されど、強行して感染が広がれば責められる。

新聞の一面に出ている文章なのに、新型インフルエンザの現状に対する基本的な知識も、状況への真摯な分析も、ジャーナリストしての責任感も、なーんにもない。新型インフルエンザのパンデミックは、しゃれた(つもりの)文章の、単なるネタのレベルでとりあげるような問題じゃないだろうに。
 「強行」して「責められる」というような事態が起きてしまうとすれば、それは対策が不十分ということだろう。もはや、学校単位で自主的に学校・学級閉鎖や行事の中止を決められるような段階ではないのだ。
 文章は、ワクチンは優先順位がある、「せいぜい手洗い、うがいで用心を怠るまい」と続く。これは少なくとも新聞という公のメディアの一面で書かれることではない。家でテレビのニュースを見ながらつぶやいているようなものだ。社会的なレベルでは、対策としてもっともっとやるべきことがたくさんある。
 秋分であり、新型ウイルスも「攻勢に出る頃合い」だろうとして、締めの言葉は

名曲のように、〈それがどうした〉と開き直れないのが悔しい。

これは実際的にはまったく意味のない文だ。つまり、歌詞と時事問題を使って遊んでいるのである。人の生き死にに関わることがらをダシにしておふざけが書ける、その神経がわからない。こんなのをつい読んでしまって時間を無駄にしたこっちのほうが悔しい。
 ブルーバックスの新刊、『インフルエンザ パンデミック 新型ウイルスの謎に迫る』を読むと、インフルエンザ・ウイルスについて今ではかなりのことがわかっているんだな、とまず驚いてしまう。遺伝子解析によって、今回の新型インフルエンザのウイルスの起源というか由来もすでに解明されているのだ。

インフルエンザ パンデミック―新型ウイルスの謎に迫る (ブルーバックス)

インフルエンザ パンデミック―新型ウイルスの謎に迫る (ブルーバックス)

 1918年のスペイン風邪に起源を持つ豚のインフルエンザ(豚で数十年間流行していたもの)と、1997・8年にヒトの香港風邪のウイルスならびに北米の野鳥で流行していたウイルスが豚の体内で合わさって(「遺伝子再集合」という)雑種ウイルスが誕生し、そこに1979年からヨーロッパの豚の間で流行していたウイルスが遺伝子再集合して、新しいインフルエンザウイルスが生まれ、それがヒトに感染する能力を持ったもの、らしい。
 60歳以上は免疫を持っているかも、ということが報道されたが、著者たちの研究では、実際は91歳(2009年に)以上の人だけが抗体を持っているという。91年前とは、1918年である。つまり、スペイン風邪が流行した年だ。上で紹介したように、今回の新型インフルの起源はスペイン風邪のウイルスであることがその理由のようなのだ。
 この本によれば、日本で大流行は確実に起こる(現に起きつつある)。普通の季節性インフルエンザと同じくらいの病原性だから怖くないというのは大きな誤解であり、実際は新型のほうが病原性が強い。さらに、インフルエンザウイルスの病原性は、たった一個のアミノ酸の変異で「弱毒型」から「強毒型」に変わりうることがわかっている。今後、今の新型インフルエンザウイルスが強い病原性を持ったものに変化する可能性はゼロでないという。
 インフルエンザワクチンやタミフルについて、有効性が疑問とか副作用があるなど、これまで批判する人も多くいたし、今現在でもいる。個人として副作用の被害にあった人にとっては深刻な問題であるのはもちろんなのだが、しかし社会全体の対策、リスク管理も常に勘案して方針を立てていかなくてはならない。たとえば季節性インフルのワクチン接種にしても、感染してもほとんど重症化することのない小・中学校生に、しかも有効性が100%ではなく(インフルエンザウイルスやワクチン製造の特性による)副作用もまれにあるワクチンを接種することの是非を考える際には、実はそれが流行のレベルを社会全体として押し下げ、そのことで感染による死亡リスクの高い乳幼児や老人を守っているのだ、ということを考慮する必要がある。
 あるいは、日本はタミフルの使いすぎ、という論調が以前からあったが、インフルエンザに敏感できちんと受診し、抗インフルエンザ薬で治療するというスタイルが普及していたからこそ、発症の人数に比べて重症化した人の割合が比較的少なく済んでいる、という可能性も否定できないのだ。
 「リスク」はけしてゼロにはならない。ほんの少しのリスクを避けようとして、大きな危機を背負い込んでしまう、ということのないように、社会としての知恵が求められている。
 この本は、日本のインフルエンザウイルス研究の第一人者による、非常にタイムリーな解説書だ。おすすめ。