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上橋菜穂子「守り人」最初の3巻を読んで続きは少し我慢

 圧倒的に面白いので、少しずつ読む、ということができず、抱えているやるべきことの時間がとられてしまうから、とりあえずストップをかけた。授業が始まったら、行き帰りの電車の中で続きを読むことにしよう。
 最初の3本のなかで言うと、物語のしつらえは最初の『精霊の守り人』が一番しっかりしている。読み終わったところで全体の構成がくっきりと浮かび上がり、この話の世界観が、その深さとともに自然と了解され、納得される。みごととしか言いようがない。
 しかし、語り口というか言葉の流れ具合というか、で言えば、後の巻にいくほど良くなる。それは作者の言葉がこの世界となじんでいく、ということかもしれないし、読むこちら側が物語により深く入り込んでいくからそう感じられるのかもしれない。
 バルサもタンダもトロガイも、「子ども」ではない。ファンタジーでは、子どもが中心人物でなくても「児童文学」として成立する、ということか。リアリスティックな物語では、そうはいかないのではないか。ここはちょっと考えてみるべきかもしれない。
 バルサを若くきれいな娘にすれば、小山ゆう『あずみ』になる、いやならないか・・・。
 山口昌男『学問の春』で、シベリアのシャーマンに触れてこういう文章がある。

シベリアでは感受性の強い青年があるとき森の中に消えてしまう。するとそこでは先輩のシャーマンが待ち受けていて彼にさまざまな知恵や試練を与える。青年は幻覚状態の中で、精霊によっていったん殺されて身体をバラバラに引き裂かれて、その後また生の世界に帰ってくる、という旅を行う。こうして彼は正式に村のシャーマンになる。(177ページ)

ああ、これはトロガイだ・・・。文化人類学という学問をバックボーンとして上橋菜穂子の物語は生みだされている(面もある)、ということをあらためて思う。文化人類学民族学がある種の強い光を放っていた時代がかつてあったことも、懐かしく思い出される。