ホンダヨンダメモ(はてなダイアリー版)

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マンガばかり読んでいるんじゃないけれど

でもマンガばかり読んでいるような気もする。
・竹富健治『鈴木先生 6』を読む。

鈴木先生 6 (アクションコミックス)

鈴木先生 6 (アクションコミックス)

おもしろく読んだ。
しかし、たとえば前の第5巻のおもしろさとは少し違う。
違うが、この作品のエッセンスの部分が取り出されたものではあるだろう。
これはマンガというものが含むおもしろさではあるだろうが、しかしマンガだからこそのおもしろさ、なのだろうか。
ひょっとしたら、『ゴー宣』が持っている(いた)たぐいの「おもしろさ」なのではないか。
このマンガを知らない人にはなんのことやらわからないですね、すいません。
担任する中学生との、言葉のやりとりによる「対決」。そこに至るまでの過程では、鈴木先生も焦り悩み不安を抱き、ある種の「綱渡りのスリル」を読む者は味わうことになる。
しかしひとたび鈴木先生の弁舌が始まるやいなや、すべては鈴木先生が語る論理に落とし込まれ、クリアな解決がもたらされる。そこに一切の破綻はない。
この、前後の「断絶」に、違和感を感じてしまうのだ。
たしかに、生徒はさまざまな個性を持ち、さまざまな生い立ちをかかえ、さまざまな意見を持っている。
だがそれらは、鈴木先生の「ことば」が語られるやいなや、そこに回収され、すべてはその論理の成立を準備し補強するためのパーツと化すように見える。
まあそれはそれでおもしろんだけど、これってディベート版『ドラゴンボール』かも。本当の地獄はないのだ。
なんて考えながら読んでいたら、解説で清水正が同じようなことを書いていた。
オノ・ナツメ『COPPERS 1』、『さらい屋五葉 5』を読む。
COPPERS [カッパーズ](1) (モーニング KC)

COPPERS [カッパーズ](1) (モーニング KC)

楽しく読んだ。
ひと目見ればオノ・ナツメの絵だとすぐわかる、しかも他にあまり似ているもののない個性的な絵柄なのだけれど、担えるストーリーの幅が広いというか、キャパシティが大きい、そういう絵のスタイルなんだということが、2つを並べるとよくわかる。
作者が展開するモチーフの多様さを支えることのできる線の質なのだろうし、作者の工夫もあるのだろう。
さらい屋五葉』の第三十話の扉絵なんて、すごく好きだなあ。
『COPPERS』でいえば、人間模様を楽しむのもそうなんだけれど、たとえばところどころではさまる警察車両のカットが、かっこいい。ディテールと画面構成を楽しむ作者を感じつつ、こちらもそこを楽しむ。
あと、『とめはねっ! 4』と『あずみ 47』も読んだ。『あずみ』、雑誌のほうでは完結したらしいが、これでどうやって終えるのか?