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つげ義春とやまだないと

筑摩からつげ義春全集が出ていて、揃えたいと思いつつ、手を出しかねていたのだ。
買えば全九巻を一気に読むだろう。それに精神的に耐えられるか? ということもあった。たまに短編をひとつふたつ読むのならいいんだけど。
それはそれとして、筑摩であるから、ちくま文庫になるのではないか、という期待もあった。
ということで、今回「つげ義春コレクション」として文庫での刊行が始まった。10月に『ねじ式 夜が掴む』、11月に『大場電気鍍金工業所 やもり』。以下毎月一冊、全9巻。

ほぼ同時に、講談社漫画文庫で「つげ義春初期傑作短編集」全4巻、も10月から12月まで一冊ずつ出るし、ちょっと前には小学館クリエイティブから『生きていた幽霊』『四つの犯罪』という最初期の作品が復刻版として登場している。
また、つげブームがやってくるのか?
ちくまで今月刊行の『大場電気鍍金工業所 やもり』は、オビに「青年時代までの悲惨と滑稽を描くつげ義春自伝的作品群」とあるように、つげが子どものころのこと、そして駆け出しマンガ家のころの自伝的要素を含んだ作品が収められている。
敗戦から、昭和30年代までのあたりだ。貧乏がそこらに普通にあった社会、おおらかで密接・濃厚な、かつ複雑な人間関係、家族関係。
読んで、このあいだ読んだ、やまだないとの『ビアティチュード』(講談社、2008年10月)を思い出した。やまだ版、空想的トキワ荘物語、である。やはり昭和30年代が舞台だ。
ビアティチュード BEATITUDE(1) (モーニング KC)

ビアティチュード BEATITUDE(1) (モーニング KC)

現在の感覚からすれば、生活のあらゆるレベルが絶対的に貧しい。未来の可能性は、あるようでいて、閉ざされてもいる。しかし、人と人の間の壁のようなものが、今よりも絶対的に薄いのだ。なけなしの金を融通し合い、住むところのなくなった知り合いを、自分の狭い部屋にあたりまえのように受けいれる。子どもを近所同士で預け合う。
連帯? 草の根セーフティネット? ぼくがかろうじて小学校入学前に体験しているそんな人間関係のあり方は、よく考えてみれば、今のマンガの中にけっこう描かれている。
たとえば最近ちょっとブレイク中の「毎日かあさん」こと西原理恵子の作品。あるいは、けらえいこの『あたしンち』で番外編として描かれる、みかんやゆずひこの生まれたころの話もそうだ。
やまだも西原もけらも、ぼくとほぼ同年代。さくらももこもそうだけれど、昭和30年代のかけらをかじっている世代である。
社会が明らかに「下り坂」に入っていると実感されつつある現在において、映画『三丁目の夕日』やリリー・フランキーの『東京タワー』あたりも含めて、昭和30年代がくり返しイメージ化されているように見える。
それらは単なるノスタルジーかと思っていたけれど、もしかしたら、昭和30年代を読み返し読み替えることで、これから先のあるべき可能性の芽を探す作業なのかもしれない・・・かな? だって現在、人の生きる空間はあまりにもバラバラに切り離されてしまっているもの。
若者たちはいまや一気に『蟹工船』まで行っちゃっているけどね。