内田樹『街場の教育論」(ミシマ社、2008年12月)
内田樹の、大学院での講義録をもとにした『街場の・・・』シリーズ最新刊。今回は「教育」がテーマである。
- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: ミシマ社
- 発売日: 2008/11/15
- メディア: 単行本
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しかし、その語り口と視点の置き方のユニークさが、読む者を納得させるし、納得に誘う。
1 教育論の落とし穴
2 教育はビジネスではない
3 キャンパスとメンター
4 「学位工場」とアクレディテーション
5 コミュニケーションの教育
6 葛藤させる人
7 踊れ、踊り続けよ
8 「いじめ」の構造
9 反キャリア教育論
10 国語教育はどうあるべきか
11 宗教教育は可能か
付箋をつけたところ:
・教育の本質は
「こことは違う場所、こことは違う時間の流れ、ここにいるのとは違う人たち」との回路を穿つことにある。
・「学び」とは
「離陸すること」です。/それまで自分を「私はこんな人間だ。こんなことができて、こんなことができない」というふうに規定していた「決めつけ」の枠組みを上方に離脱することです。自分を超えた視座から自分を見下ろし、自分について語ることです。
・教養教育というのは
要するにコミュニケーションの訓練だということです。/それも、なんだかよくわからないものとのコミュニケーションの訓練です。共通の用語や度量衡をもたないものとのコミュニケーションの訓練。
・最近まで教養教育の中心が外国語教育だったのは、
「自分と共通の言語や共通の価値の度量衡をもたないもの」とのコミュニケーションの訓練として、外国語のテクストを読むことが効果的であるということが経験的に知られていたからです。
・日本の教育プログラムにいちばん欠けているのは
「他者とコラボレーション」する能力の涵養だと思います。
・今、学校が果たすべき最優先の仕事は、
子どもたちが共同的に生きるための術を体得するより先に、「原始化、砂粒化、個別化せよ」という圧力をかけているグローバル資本主義の介入に対する「防波堤」となることです。
引用したあたりは、もうほんとにその通りだと思う。
内輪における「盛り上げ」の努力、気の使い方と、外部の人間(時として、同じ教室にいる教師も!)に対するコミュニケートの遮断。その間のギャップの大きさが、学生を見ていると年々拡大しているように見える。
しかしそれでは「学べない」人間のままでいつづけることになるだろう。