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誉田哲也『武士道シックスティーン』(文藝春秋、2007年7月)

武士道シックスティーン

武士道シックスティーン

武士道セブンティーン

武士道セブンティーン

 腰痛で寝込んだことが、体のバランスを崩してしまったようである。魔女の一撃の恐怖心も残っているから、歩くのもなんとなくこわごわ、となる。運動せねばならない。しかし心と体がそれを拒否する。椎間板ヘルニアが、「やめなよ」とサインを送ってくる。やっかいなことだ。数十年かけて着実にコツコツと弱らせてきた筋肉と持久力をどうやったら回復できるか、真剣に考えねば、と考えるのも毎度のことで飽きてきた。
 思えば、肉体的・運動能力的ピークは中学のときだったような気がする。これまでの人生であの3年間だけ、コンスタントに運動をしていたのだ。剣道部、に所属して。
 本好きの剣道部員としては、とりあえず吉川英治の『宮本武蔵』は読むとして、ちばてつやの『おれは鉄平』と(村上もとか六三四の剣』は少しあとだ)、それから高橋三千綱『九月の空』。
 高校生の男の子が、自分を取り巻く環境(家族、特に父親との葛藤)や思春期のもやもやをもてあまし、剣道に打ち込み、しかしふいとそこから離れてひとり旅に出たり、クラスの女の子ともどかしい微妙なやりとりをし、同級生には養護施設出身や、米軍基地の近くのアメリカ兵向けバーのママさんの子どもがいて、と、当時としてもそこにある世界は自分のそれとはかなり遠いものだったが、でもけっこう夢中で読んだ記憶がある。
 対戦相手の「居着いた」ところを見て取って「イナズマダッシュ」の面を打つのが得意技の、言ってみれば直情径行型でいつもいっぱいいっぱいの主人公に対し、常に余裕を漂わせている、しかし主人公がどうやってもかなわない他校のライバル。読者と等身大に設定されているのが主人公なら、剣道一家の家族を持ち、1年生で大きな大会で準優勝し、「待つこと」が大切、と主人公にアドバイスをするライバルの方は、主人公が関わるひとつの世界である「剣道」というものの、主人公には未だ見えていない奥行きを体現する存在として描かれている(そのほかにも、これから主人公が体験して行くであろう「大人」の世界が、物語に重ねられていく)。
 さて、誉田哲也の『武士道シックスティーン』と続編の『武士道セブンティーン』(2008年7月)は、『九月の空』の剣道の部分、主人公とライバルとを取り出して、そのふたりを女の子に変えて、青春エンターテインメントに仕上げた、ような小説だ。
 直情径行で勝つことにこだわる、中学のときに全国二位となった香織と、日本舞踊から高校で剣道にうつった変わり種、剣道という競技そのものを楽しもうとする早苗。そのこだわりには、それぞれ理由がある。そのふたりのあり方が、「武士道」をキーワードに、最終的にある一点に収束していく。『九月の空』の重さは、ここには一切ない。世界も、文体も、ともに戯画的でフィクショナルでファンタジック。イマふう。気負うことなく、楽しめる。たとえばマンガだが『とめはねっ!』などと同じ世界、といってもいいか。
 こういうの読むと、剣道、またやってみたいような気もしてくるが、もう竹刀もろくに振れないだろうな。