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宇仁田ゆみ『うさぎドロップ 4』(祥伝社、2008年5月)

うさぎドロップ (4) (Feelコミックス)

うさぎドロップ (4) (Feelコミックス)

 子育てがテーマのマンガ、あるいは子育てエッセイマンガのたぐいは、これまでたくさん書かれてきた。最近出たのでは『ダーリンは外国人』の、トニーとさおりのやつ、とか。
 特にエッセイマンガの場合はそうだろうけれど、人生で初めて訪れるまっさらな体験の新奇さ、驚きと、にも関わらずそれが究極の親密さの中にあることとのはざまにあって、幸せに右往左往する姿を眺める楽しさというものが、確実にある。
 でも、たとえば内田春菊の場合であっても(あるいは内田春菊だからこそ、なのか)、そこには「外部」というものが微妙に排除されている。個別の、純粋に一回性の体験を語る・読むことの快楽であるがゆえに、一般化・抽象化を促す外部の視線は、慎重に遠ざけられることになる。
 宇仁田ゆみの『うさぎドロップ』は、そんな外部の視線を、ユニークな設定によって巧みに物語のなかに導き入れている、のでとてもおもしろいのだ。
 「健全な男子」的子ども時代(たとえば100ページ、「極度の薄着」「階段は2段ぬかし ろう下は全力疾走」「給食は早食い 牛乳はイッキ飲み」)を送りつつ成長した、女子が苦手な30歳の男(会社員、ひとり暮らし)が、自分の祖父の隠し子である5歳の女の子(つまり、関係としては「叔母」だ)を引き取るところから始まるこの物語は、子育てというものからいちばん遠いところにいるだろう人間のハプニング的子育てを描くがゆえに、主人公の「学習」あるいは「思考」の過程を、ストーリーのおもしろさの中に無理なく組み込むことに成功している。
 「自分を犠牲にしてまで 子どもとやってく自信ない」(p.200)という妹の言葉に、「子どもとの時間も自分の時間なので… 大事な」「人の親だからって特別なことは何もないんじゃないかなぁ」というパパ友・ママ友の言葉を重ねる。まあなんてことのない台詞ではあるのだけど、でもこういうなにげない言葉で読者をちょっとうるうるさせることって、けっこう難しいことなんじゃないかと思う。やっぱり、設定と人物造形のうまさだろう。
 小一のりんちゃんもかわいいけれど、同級生のコウキのママ(美人)がステキ。この巻では新キャラのパパふたりが登場するけど、このふたりもいい。あと、「おんどくカード」とか、木でできた「乳歯をしまっとくケース」とか、おお、いずこも同じ!