ホンダヨンダメモ(はてなダイアリー版)

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季刊誌『考える人』2008年春号(新潮社)

 春の文学特集、その2。「特集 海外の長編小説ベスト100」。編集部の選んだ129人が答えたベスト10をもとに、100位まで順位をつけた。1位は…。
 という感じでコメントをしようと思ったが、やめた。ドイツの作家は、とか「その1」でやったように抜き出してみようとも思ったけれど、カフカトーマス・マン、グラスと、まあそんなとこで、こういうお遊びにあれこれ言うのはヤボなことのような気がしてきて。
 アンケートに答えた人のベスト10と短いコメントが載っている。選んだ作品に関しては結局のところどうでもよくて、コメントを楽しむ。個人的には、明確に基準を打ち出してすぱっと選んでいる人が好き。10だけ選び出すなんてどだい無理なんだし。ごにょごにょと言い訳している人は好感度低下。川本三郎鶴見俊輔は明快。「自分がその中に五歳のときにも八十五歳のときにも入ってゆけて、自分の人生をそういうものとして見る。これが、えらんだ基準です」と、鶴見。荒川洋治は「分量のある長い作品を読んだ人は、その作品を悪くいうことはない。かけた時間と、自分自身がむなしくなるからだ」と。相変わらずすてきだ。
 堀江敏幸は、長編小説を読んでいる自分をとり囲むさまざまな音が「主人公の息や咳や声とまじりあ」う、そんな若き日の体験を語る。それ、わかる。
 そういえば、だいぶ前に『ドン・キホーテ』を読んだときのこと。読み終わった翌日、まだ体の一部が「あの世界」に少し引っかかっているような気持ちのまま、職場へと向かう電車に乗っていた。ふと、となりに座っている制服姿の高校生の女の子が読んでいる本が妙に気になってそっと覗いてみたら、ドンキだった! カバーをかけてないその岩波文庫をぱたんと閉じて、女の子は降りていった。後編(二)。学校の図書館のはんこ。そりゃもう、当然、心のなかで「わがドゥルシネーア!」と叫んだよ。