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石井桃子さん

 石井桃子さんが、2日、亡くなられた。享年101歳。
 昨年、百歳のお祝いということで、いくつかの催しや雑誌の特集があった。また、今年になってからは3月に「かつら文庫」50周年を記念する催しも開かれた。みながその存在の大きさを改めて確認し、かみしめたところで、すうっと「次の世の中」(今年1月の朝日賞受賞スピーチより)へと行ってしまわれた。
 1950〜60年代に撮られた写真に写っている石井桃子さんの姿が好きだ。卵のようなお顔に、メガネをかけて。きりりとしつつ、おだやかで、世界にすっと自然体で対峙している感じがする。
 なによりも、児童文学の翻訳家として。最近、「わかりやすい」翻訳が流行っている。しかし、石井桃子(ここから敬称は省略させていただく)の翻訳は、けしてわかりやすい、あるいは「自然な」日本語ではない、と思う。リズム、造語力、それから慣用句、古くからの言い回し、わらべうた、といった日本語の資産を縦横に駆使しつつ、同時に英語の表現世界をも読む者に味わわせてくれる、そんな訳文。翻訳を読む喜びって、そこに(も)ある。もちろん子どもは、自由に飛びはねるその言葉たちをそのまま楽しんでくれればいい。雑誌「飛ぶ教室」(光村図書)2007年秋号の石井桃子特集にある、安達まみと小野明の文章が、そのあたりをうまくまとめている。
 (わかりやすい翻訳といえば、『ノンちゃん雲に乗る』は、最初は大地書房からでたが、光文社の「カッパブックス」に入って、ベストセラーとなったのではなかったか。)
 うちの娘がこのあいだ、アリソン・アトリーの『こぎつねルーファスのぼうけん』(岩波書店)を読んでいた。アナグマおくさんの作ったごはんに、ルーファスは「ぼく、いつもあるものごはんは、きらいだ。」と言う。「いつもあるもの」には傍点つき。それでルーファス、自分でさかなを釣ってくると言って川へ行く。そして歌を歌う。

きれいな、かわいい魚たちぃ、
ぼくのおさらに、おはいりぃ、
お茶にたべてあげるからぁ。

それに対して、魚が答える。

お茶にたべてもらおうとぉ、
おさらのうえにのるつもりぃ、
さらさら、おいらにゃ、ないのよぉ。
おいらは、水の底にすむぅ、
それをおかずにするなどたぁ、
してはなんねえことなのよぉ。

いいなあ。それに、「いつもあるものごはん」とか、「お茶に食べる」とか、自由自在でよくわかる。
 大学で「ドイツ児童文学史」という講義をしているのだが、世界の児童文学についての年表を見ながら必ず確認しておくのは、1900年から第一次世界大戦までのイギリスで、古典となる子どもの本が多く書かれていること。02年に『ピーター・ラビット』とネズビット『砂の妖精』、04年に『ピーター・パン』(戯曲版)、08年にグレアム『たのしい川べ』。それに大戦後から大恐慌が始まる1929年の間を加えれば、ロフティングの『ドリトル先生』(20)、『くまのプーさん』(26)。ファンタジックな作品が、そして後々まで世界中で読まれる古典が、このあたりに集中して現れる。「世紀末」から戦争、不況の時代へという社会背景のもとで、先進国たるイギリスには何かが起こっている。安定の時代でもあり、かつ不安を内包した時代でもある。ヨーロッパ全体に眼を向けても、ドイツではヴォルガストが『わが国の児童文学の惨憺たる状況』を1896年に出しているし、それにエレン・ケイの『児童の世紀』は1900年。この分野でさまざまな動きが始まっている。おもしろい時代なのだ。
 というような説明をしながら、ふと気がついた。今挙げた作品は、みんな石井桃子じゃないか。ピーター・パンも訳しているし、ドリトル先生井伏鱒二の下訳をやっていたはず。うわあ、すごいね、とひとりで盛り上がっていたら、学生たちはきょとんとしていた。あとでよく考えたら、ここを意識的に日本に紹介していく作業を、石井桃子はしていたんだ。
 石井桃子って、なんてすてきな名前なんだろう。母音だけ取り出すと、i・i・i/o・o・oだ。柔らかい「い」と「も」の繰り返しもすてき。
 安らかに。