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山東功『唱歌と国語 明治近代化の装置』(講談社、2008年2月)

 『唱歌と国語』。著者は大阪府立大学の日本語学・日本思想史の先生。明治期、学校の教科としての「国語」の中で日本語「文法」が成立していく。また、「音楽」においては唱歌が生まれ、それが教科を超えて特別な役割を担っていく。そのふたつの現象は、国民の「規律化」という形で進められた「日本」像の構築=近代化の、大きな「装置」であったのだ、というんだけど、おもしろそうでしょ?

唱歌と国語  明治近代化の装置 (講談社選書メチエ)

唱歌と国語 明治近代化の装置 (講談社選書メチエ)

 実際、おもしろい。唱歌の歌詞を作詞したのは教育関係者、特に「音楽取調掛員」たちだが、彼らは同時に(多くは国学風の)日本語文法書を書いたり編纂したりしている。初手から「文法」と「唱歌」は渾然一体となっていたのだ。
 趨勢が固まってくるのは、明治30年以降である。ここでも例の「ヘルバルト主義」的教育が関わってくる。徳目主義というやつだ。そのなかで、唱歌は「音楽」から離れ、他のあらゆる教科の下支えの役割を担っていく。「際物唱歌」というらしいのだが、つまりは覚えるべきデータを記憶するための方便として唱歌が使われるのである。『鉄道唱歌』が一番有名だ。例として『国民教育 日本唱歌』(芳賀矢一作詞)が挙げられている。日本という国がどういう国なのか、具体的に示していく歌詞は、25番まである。

我が日本の国体は、世界万国無きところ。/遠き神代の昔より、君臣分は定まれり。

ではじまるのはいいとして、

国の守りの軍港は、横須賀、舞鶴、呉、佐世保、/他に遼東旅順港、尚朝鮮の鎮海湾。

なんていうのは「歌詞」とは言えないだろう。こんなのがたくさんあったらしい。おもしろいのは、『堺市水道唱歌』。人口六万余の堺市の盛衰を決めるのは、良い飲料水の供給である。自然のままにしておいてはいかん。そこで、

天この民を振り捨てず 人この自然に甘んぜず/ここに起こしし大工事 水管延長十三里

という歌なんである。小学生に歌わせていたらしい。これ、このあいだニュースになった、国交省の「道を造ろう」ミュージカルとまったく同じじゃないか。明治の世から、やってることはずうっと変わってないってことだ。
 いずれにせよ、「文法」も「唱歌」も、「規範」として機能していくことになる。日本語文法はまず「学校文法」という形で成立し、それへの批判としてさまざまな文法研究が生まれていった(山田孝雄や松下大三郎など)。同時に、規範化した唱歌の言葉の面における批判として、「童謡」が提唱される。
 唱歌、リズム、「体操」(さらに「軍隊」)。「ラジオ体操」が象徴するように、「身体」という視点を導入すれば、さらに見通しは良くなる。「国語、唱歌、体操、という三教科は、いずれも身体の規律化を重視していることが見えてくる。」(202ページ)。さらにそこに「日本像の構築」という観点を加えれば、「装置」の全貌が見えてくる。「懐かしの唱歌という感性」の背後に見え隠れする、「装置としての巧みさ」。

 「忘れがたき故郷」と歌うことは、個人の中で忘れがたい故郷を表象することになる。兎もおらず小鮒もいない都会の真ん中で生まれ育ったとしても、各人の「故郷」のイメージを言葉の上だけでも統合することは可能だからである。

「学校」という装置のなかで、「懐かしの唱歌」が「美しい『日本』の表象」を作りだし、「学校文法」が「美しい『国語』」を成立させる。明治を分析しつつ著者がたどり着くのは、現在においてわれわれが抱く「日本」イメージの成立を担う、なにか、なのだ。