ホンダヨンダメモ(はてなダイアリー版)

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立川談春独演会に行った

 近所の市民会館で立川談春独演会をやっていたので、聞きに行った。
いやあ、良かった! 八分の入りといったところで、談春も「主催者はわたしを呼んで勝負したんだろうけど、勝ちでもない、負けでもない、微妙なところ」と。
 出し物は、「紺屋高尾」と「文七元結」。長尺もの2本、ひとつ1時間くらい。職人、遊郭、お金、結婚という共通点を持つはなしをふたつ並べた。
 こういう微妙な場所でやる場合、まずはまくらで笑いへの感受性を高めておくといった雰囲気操作をしそうなものだが、談春はごくあっさりと話に入る。しかもまずは声のボリュームをほんの少し下げて始め、はなしが佳境に入るとともに声の力を強めていく。観客を引き込む。
 「紺屋高尾」、まずはたんたんとじっくりと、退屈になるぎりぎりのところでとどまりながら、久蔵の人物を描いて行く。このはなし、たぶん前半であまり盛り上げちゃうと、高尾の決断の「軽さ」が浮いてしまうのだろうと思う。しかしそのバランスをコントロールするのは難しそうだ。談春は力業で、高尾のその決断に説得力を持たせ、クライマックスを大いに盛り上げてくれる。久蔵の必死さが観客の胸を打つ、高尾だってそうだろう・・・と。
 「文七元結」、登場人物たちに、きまじめに世の中のからくりを語らせ、生きていくことの辛さと喜びを語らせる。ここでは人々のこっけいなやりとりではなく、背後の「ドラマ」が強調されるのだ。すごい直球。
 さのづちから長兵衛がひきあげ、文七と出会うところ、文七がいなくなって大騒ぎになっている近江屋での場面が、映画でいうカットバックというか、フラッシュバックというか、一瞬の間も開けずに挿入され、場面転換される。これも「ドラマ」性を強調する工夫だろうか。そして結末部は、もう泣き笑い。うまいなあ。
 おもしろかった。