ホンダヨンダメモ(はてなダイアリー版)

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牧野宣彦『ゲーテ「イタリア紀行」を旅する』(集英社新書、2008年2月)読了

 『イタリア紀行』は未読である。独文専攻としては恥ずかしい。翻訳も持ってないよ。もともと紀行文には触手が伸びないのだ。『奥の細道』も読もうと思って積ん読のまま。
 この本は、『イタリア紀行』挫折組のために、ゲーテの旅程をたどりつつたくさんの写真をちりばめていわば「副読本」として企図されたもの。総天然色のため、ちょっとお高い1260円。ゲーテは1786年から1788年までの2年弱、ワイマール公国での公務からうまいこと逃げ出して、かねてより切望していたイタリア旅行を敢行する。そのあたりの事情もこの本では解説してあって、ためになる。ゲーテの足跡を、著者自身の体験と写真、時に考察を交えて丹念に追っていくのが、読んで・眺めていて楽しい。同時にイタリアのガイドとなっていて、良い。行ってみたくなります(こればっかりだけど)。ちなみに次のサイトも見てみてください。
http://www.romeartlover.it/Goethe.html(What J. W. Goethe saw during his stay in Rome)
当時の図版とその場所の現在の写真とが並べてあって、とてもおもしろい。
 表紙はフランクフルトのシュテーデル美術館にあるテッシュバイン作『カンパーニャゲーテ』。シュテーデルはぼくがフランクフルトに留学していた時、住んでいたアパートの近くにあったので、よく行った。この作品も(けっこうでかい)おなじみさんだ。この絵、ゲーテと言えばよく使われる肖像画なんだけど、よく見ると変なところがあるのでも有名。左足の腿がやけに長いし、右足であるはずの手前の足先、左の靴を履いてるように見える! 
http://www.staedelmuseum.de/index.php?id=94
この「2本の左足」の謎、当時はまだ靴の左右が同じ形だったからとか、もともと未完成で誰かがあとから描き足したのだとか言われているけれど、理由はよくわかってない。
 ゲーテのお父さん、ヨハン・カスパールもイタリアに行っていて、やっぱり『イタリア紀行』を書いている。それからひとり息子のアウグストも、あのエッカーマンとともにイタリアへと旅立つのだが、ローマで病を得て亡くなる。ゲーテは81歳、アウグストは40歳。ゲーテが亡くなるのはその2年後のことだ。アウグストの書いた旅日記も、翻訳がある(『もう一人のゲーテ アウグストの旅日記』バイヤー/ラデッケ編、藤代幸一/石川康子訳、法政大学出版局、2001年)。
 このイタリア旅行っていうのは、なにもゲーテ一族の趣味ってわけじゃない。17世紀半ばから、主にイギリスで「グランド・ツアー」というのが行われるようになる。いいとこのお坊ちゃんたちが、はるかアルプスを越えてイタリアまで行くのである。フランスか、イタリア。「文化」的故郷かつ先進国へ行って箔を教養を身につけてこい、ってな感じで。それでなにしろお金持ちだから、いろいろ美術品なんかを買いあさってくる。なかでも17世紀フランスの古典主義の風景画家で、イタリアで活躍したクロード・ロラン。ある種の「観念」の風景なんだけど、これこそ「自然」の「風景」だ!てんでこの画家の絵を大量にイギリスに持ち帰る。そこから「ピクチャレスク」な絵画というものの流行がおこる。絵どころか、ピクチャレスク絵画そっくりの庭を作り始めちゃう。「風景庭園」「ゴシック庭園」とか呼ばれてる。いま「イングリッシュ・ガーデン」などと言われているものの源流だ。そんな具合で「ゴシック・リバイバル」が生じ、ゴシック小説が生まれ、サブライムの美学が云々され・・・と、このあたりはとてもおもしろい。
 今日は尾山台の生パスタの店でたらふくパスタを食べてきた。うまかった! ゲーテもパスタを食べたんだろうね。トマトがイタリア料理に導入されたのが18世紀のことだから(意外と新しいでしょ?)、トマトソースのパスタも食べたかも。