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隈研吾『新・都市論TOKYO』(集英社新書、2008年1月)

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)

 建築家隈研吾が、「都市開発、デザイン、ライフスタイルなど」(著者プロフィールより)を専門とするジャーナリストの清野由美と対話を交わしつつ、近年なされた東京の大規模再開発に出向き、論じたもの。汐留、丸の内、六本木ヒルズ、代官山、町田。
 この何年か、東京では巨大なビルが幾本もにょきにょきと現れたのだが、これっていったいなんなのか。六本木ヒルズ東京ミッドタウンも、行ってみればけっこう居心地のいい空間だったりする。でも、これだけのものをこの先東京は(日本は)維持していけるだけのキャパシティがあるのだろうか。隈によれば、汐留もミッドタウンも、「資本」の論理の中で、リスクを最小限にする(あるいは分散する)テクニックが駆使されて作られているのだと。そこではクライアントと建築家とが向かい合ってコミュニケートをせず、リスク分散の至上命題の中であらゆるものが折衷されていく。なるほどと思ったのは、経済的に「開く」(=巨大な資金を複数の他者から調達する)と、空間的には「閉じる」(=周囲の環境とは切り離された、閉じた空間が出現する)、逆に経済的に「閉じる」(=あまりひとからお金を借りない)と、空間的には「開く」(=周辺地域と一体化する)、という隈の分析。後者は代官山ヒルサイドテラスが念頭にある。
 隈研吾は、1954年生まれ。磯崎新黒川紀章の世代があって、次に安藤忠雄や伊藤豊雄の世代がきて、その次の世代の建築家、といっていいのだろうか。慶応大学理工学部教授。最初にその名前を聞いたのは、環八ぞいに建てられた「M2」ビルでだった。1991年の竣工。奇抜なポストモダン建築として、大いに話題になった。自動車メーカーのマツダの関連会社のビルだった。マツダがピンチになって、売られて斎場になってしまったと再び話題にのぼったのは数年前だったか。しかし最近の作品であるサントリー美術館などをみると、ずいぶん印象は異なるように思える。著作も多いので、まとめて読んでみたい。