ホンダヨンダメモ(はてなダイアリー版)

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「フェリクス・ホフマン絵本原画展」


少し前に観に行って、感想を書こうと思って書かないでいたら、展覧会は今日で終わってしまった。銀座の教文館にて。
フェリクス(フェリックス)・ホフマンの絵に関して言えば、実はぼくの好みとは少し違う。良い絵だということはわかる。ただ、そのきまじめな感じがグリム童話のある種の「重さ」を解放しない、あるいは深化させない、という気がする。
けれど、原画を観て、おどろいた。たとえば『七わのからす』。この絵本はホフマンの中でも好きなやつで、とくに妹が兄を探しに出かける場面の絵4ページがとてもいい。見開きいっぱいに町の外れの風景が描かれ、オレンジ色の服を着た妹が黄色い椅子を持って出かけるところが左に、その椅子に座って空を眺めている姿が右に。
ページをめくるとやはりひと続きの風景の中に、森に入り、森の中でひと休みし、湖のほとりを歩き、何もない草原を歩き、そして「このよのはて」へと消えていく。徐々に小さく描かれる五つの姿が、時間と距離の幅と大きさを一望のもとに把握させる。
そして次をめくればオレンジ色の大きな太陽、もう一枚めくれば沈んだ夜の背景の中に浮かぶ黄色い月。
絵本でもそのシークエンスと色彩のリズムは十分味わえるのだが、原画をみると、印象がだいぶ違うのだ。絵本よりも、はるかにすばらしい。色が違う。より深く、より濃い色彩が「はて」の世界の感触を観る者に確かな手触りとして伝えてくる。兄たちの姿も、より生き生きと動いているようにみえる。
クライドルフの場合は、原画よりも本になったもののほうが良いと思った。それは彼の場合、原画はあくまでも「原画」であり、石版の制作やインク・紙の選択を通して本として出来上がったものこそが彼にとって目ざすべき完成であったからだろう。
ホフマンは子供たちに手描きの絵本を贈った、ということが関係しているのだろうか。技術的なことはぼくにはよくわからない。でも、原画に接したことで絵本を見るときの印象も以前とは変わった、より楽しめるようになった、気がする。
Mさんの講演を聞きに行けなかったのが残念だったな。