ホンダヨンダメモ(はてなダイアリー版)

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科学者の人生は語れるが科学で人生は語ってくれるな

夕飯、なににしようか。
こないだ冷やし中華作ったときに残ったクラゲがある。キュウリもある。長ネギの青いところもある。
鶏肉を茹でよう。
トリモモに少し塩をまぶして、鍋に入れて水と酒と長ネギの青いところとショウガと昆布を放り込んでふたをして蒸し煮にする。茹だったらそのまましばらく冷ます。
キュウリ細長く切ったのとクラゲを添えて、めんどくさいから中華ドレッシングかけちゃう。トリはこれもたれ作るのめんどくさいので辛子醤油で。
あと、昨日の残りの、ゴーヤにおかか醬油とお酢をかけたの。
料理本にあった、ピーマンのへたと種だけ取ったやつを素揚げして甘酢和えにしたやつ。
夏っぽいメニューだ。
朝日新聞の今日の朝刊、「夏の基礎講座」という特集で福岡伸一が「生命」を語っている。
もとからあまり好きではないが、そろそろいいかげんにしてほしい。
十七年ゼミについて、「この蝉の一生の本質は地中の17年にある」として、次のように語るのだ。

誰からも干渉されずぬくぬくと生活し、ああでもないこうでもないと夢想しながら木の根っこから樹液を吸っている

「生物学」という科学の名を掲げた上で、こういう陳腐でセンチメンタルなアナロジーを語る科学者は、信用しないことにしている。
素人にわかりやすく語っている? 文学的センスの持ち主? オーケー。素人や文学もみくびられたものだ。
生物学における「ニッチ」という概念について、こう説明する。「人間以外のすべての生物は自分のニッチを守っていて、限られた資源や環境の中でほかの種と闘いを起こさないようにすみ分けているのです。」
この今西錦司的な説明もちょっと引っかかるが、「ニッチ」を「分際」と言いかえて、フーテンの

寅さんは生物学者から見ても魅力的な人間です。(・・・)何が自分の身に応じた「分際」なのかわきまえている。マドンナに恋心を寄せながらも最後は黙って去っていく

と(紙面ではまず寅さんの話をしてからニッチの説明に移る)。
ふむ。その話をひきこもりやホームレス、ニートの人びとの前で話したらどうですかね。あるいはコイズミとかその周辺にいた人たちなら喜ぶかも。格差じゃないぞ、身に応じた「分際」であるのだ、「すみ分け」なのだ、騒ぐな黙って去れ、って。
生物学的知見を「人生」なり「人間社会」方面にずらしてしまうことの危険性は、社会進化論を思い出さずとも、まともな科学者ならわかっているはずじゃないのかなあ。