ホンダヨンダメモ(はてなダイアリー版)

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それは雑談ではありません

大学の語学の授業、近頃は半期だけ、なんてものがある。
時間的制約からいって、いわゆる初級文法をひととおりやるというよりも、語学の勉強へとどのようにスムーズに入っていけるか、スタートラインにおけるノウハウの習得・体験に重きを置くことになる。でも、それがなかなか難しい。
さらに、授業のそのような性格を受講者にもわかっておいてもらわないといけない。そこもまた、難しい。
語学の勉強には、その言葉が使えるようになるという実用面と、自分とは異質なものに触れる機会であるという側面の、ふたつがある。
文学部以外の学部での授業だと、後者の方が大切かも、という思いが最近さらに強まっているのだ。
異質なもの、「他者」、外部、というようなものをはなっから拒絶しているタイプの学生に、なんとかココロを開いて欲しいなあと、いろいろ工夫をしているんだけれど。もちろんそれは、僕が本質的に同じタイプだからだ。それは損だよ、と伝えたいのだ。
でも、拒絶するのは同じでも、僕とは異なるやり方をする人びとが、ちょっとずつ増えている。そういう学生は、たいてい数人で徒党を組んでいる。グループを作って、教室の中に自分たちの日常を持ち込んで、強固なバリアを作るのである。
いや、それは他者とかなにかという前に、勉強とか授業とかが嫌いというか、敵意さえもっているように見える。じゃあなんで大学に来てるの? という疑問は、今の大学の置かれている状況では、なかなか口に出せない、のがつらいところ。
授業評価のアンケート、自由記述の欄に「雑談・余談がおもしろかった」と多くの学生が書いてくれるてそれはそれでうれしいのだけど、でもそれ、ほんとうは雑談でも余談でもない。ドイツやひいては日本以外の世界の情報を、できるかぎり伝えて、関心を持って欲しいのだ。自分を相対化して見る視点を、少しでも持って欲しいのだ。
このあいだしたのは、宴たけなわのサッカーの話。日本がPK戦で負けた、でもはずした駒野選手は日本で温かく迎えられた。
前監督のオシムは、PK戦が大嫌い。監督なのに、PK戦が始まると、ロッカールームに引き上げてしまう。
そんな話を枕にして、「ユーゴスラビア」という、かつてあった国の話をしたのだ。
1990年、イタリアでのワールドカップに、オシムはユーゴ代表の監督として出場し、ユーゴスラビア代表はその力を世界に見せつける。しかし、その同じ年に、多民族・多言語・多宗教の国ユーゴスラビアは、悲惨な内戦を伴う解体への道を、進み始める。
オシムは、「民族」というものをあえて無視して代表選手を選ぶことで、その動きに抗がった。しかし、そういう状況において、たとえば国際試合でPK戦を戦うということは、なにを招くだろうか?
そこでは、PKを蹴るということは、「民族」同士が対立する中で、自分が属する(とされる)民族を背負うことだ。成功して当たり前、失敗のみがクローズアップされるPK戦において、それはほんとうに大きなリスク。実際、ある国際試合では、2人をのぞいて選手は皆、PK戦への参加を拒否したのだという。
オシムサラエボ出身だが、サラエボ包囲戦によって2年半の間、妻子と会えなかった。自宅に撃ち込まれた銃弾を今でもとってあって、来客に見せるらしい。
「民族」とはなんだろう? グローバル化する世界と、逆に高まる民族意識。そんな中、わたしたちは、あなたたちは、好むと好まざるとに関わらず、生きていかねばならないのだ。
というような話。
日本もこれから「多言語社会」「多文化社会」「多民族社会」になる、というようなことが良く言われるけれど、ちょっと脳天気というかお気楽というか、な論調が目につくような気がする。それが避けがたいことだとしても、そこにどれだけの痛みが伴うのか。何をベネフィットとして受け取り、何を犠牲として差し出すことになるのか。どんなことを「覚悟」しておかねばならないのか。専門家はそこをこそ語って欲しいんだけどな。

オシムからの旅 (よりみちパン!セ)

オシムからの旅 (よりみちパン!セ)