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子どもたちの「自尊心」は大切だが、その前に

 ウェブ上のニュースサイト「産経ニュース」に、「自分嫌いをなくそう! 都が小学生に「自尊教育」導入へ 」(2009.3.11 01:13)という記事があった。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/090311/edc0903110113000-n1.htm
 東京都教育委員会が都内の小中高校生にアンケートをして、彼らの「自尊感情」を調査した、と。その結果、「自分のことが好きだ」という項目にたいして、半数の子どもが否定的な回答をした。国際的にみても、日本の子どもたちの自己評価は低い、と。
 都教委は、新年度から小学校1校で試験的に「自尊教育」を行う予定であると。
 子どもと自尊心の関わりについては、こんな本が出たばかりだ。ちょうど読み終わったところ。
 佐藤淑子『日本の子どもと自尊心 自己主張をどう育むか』(中公新書、2009年2月)

日本の子どもと自尊心―自己主張をどう育むか (中公新書)

日本の子どもと自尊心―自己主張をどう育むか (中公新書)

 中公新書的硬派な本で、ほとんど学術論文といってもいいくらい。アンケート調査とその統計的分析を通して、他の諸国と比べつつ日本の子どもの自尊心のあり方、その背景を探っている。本文中では、「自尊心」ではなく「セルフ・エスティーム」という用語が使われている。
 そもそも、「自尊心」なり「セルフ・エスティーム」なりといった言葉の定義自体がむずかしい。先の調査での「自分のことが好きだ」という設問にしても、そういう自己評価はその時々の環境、行動に応じて刻々と変化するものでもあるし、その積み重ねとしての全体的な自己評価もあるだろう。
 自尊心は、自分の行動と、それに対する周囲の反応が自分にフィードバックされることによって育まれる。とすれば、ある個人の行動がどのように評価されるか、という意味での社会的価値観と、それを直接的に反映する「他者」との関わりのあり方が、「自尊心」の形成の背景にあるはずだ。
 この本では、まずそのような基本的解説から始めて、「自己主張」と自尊心の関わり、小学生の自己主張と自尊心の発達との関わり、親、とくに母親の「価値態度」と子どもの自己の発達、性差の問題、日本の社会・文化の中で「自己」や「セルフ・エスティーム」はどう形作られているか、これからどうあるべきか、が論じられている。けっこう難しい。少なくとも、「子育て指南本」ではない。
 幼い子どものいる者としては、「具体的にどうすればいいの?」というのを知りたいところだが、あんまりそういう本じゃないのだ。そういう本ってある種の「はったり」が必要だが、あくまでも学問であるというスタンスで書かれているところが、僕などには信頼感がある。
 流し読みをしたのでうまくまとめることはできないが、欧米型の個人主義的・独立的自己モデルでもなく、伝統的な日本の集団主義的・相互依存的自己モデルでもないもの、すなわち自律的でありながら、関係重視的な自己観こそ、これからの日本の子どもにとって目指されるべきものなのでは、というところが結論のようだ。「自律」と「情緒的相互依存」を同時に持つことのできるような自己形成、と。なるほど。

そして情緒的な相互依存が、自己と他者のお互いの生き方を縛るものではなく、お互いの自律を尊重することの基盤となるのであれば、人の発達においてそれは文化の違いを超えて、幸福感をもたらす、より普遍的な原理になる可能性は高い。(175ページ)

 さて、しかし今日のNHK「クローズアップ現代」では、貧困のために高校を中退する生徒が非常に増えていること、そして中退することが状況を改善することはなく、むしろ将来を奪う結果になること、を伝えていた。
 気がつくと、日本は格差社会になっていた。自力では乗りこえられない壁がどんどんと成長しつつある。格差の中では、当然のこととして「自尊心」などというものは吹き飛ばされるだろう。
 教育を受ける権利は子どもに属し、子どもが希望する教育を受けさせる義務は、大人のほうにある。歴史的に子どもたちは、格差や貧困の中で親によってその現在・未来の可能性を「搾取」されてきた。「義務教育」は、そんな大人、親から子どもを守るために、そして社会全体の未来を担保するために生み出されたものなのだ。授業料払わないから卒業証書渡さない、っていったいどういうことですか。ショーバイやってんじゃないですよ。
 「格差社会」は、子どもの問題だ。そして同時に、日本社会の未来の問題だ。ここにカネを入れないでどうするのだ。
 小泉は「米百俵」とか言ったが、「構造改革」の「痛みに耐えろ」ってだけのことだったとしたら(だったのだ)、それは違うだろう。その百俵の米は何に使われたのか、小林虎三郎は何をしたのか、この話で肝心なのはそこじゃないですか。
 まあ、今はなけなしの米を国民全員に配っちゃおう、一口ずつだけど、てんだからさらに話にならないが。