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西江雅之『異郷日記』(青土社、2008年5月)

異郷日記

異郷日記

 高校のころ、学校の先生に勧められて、朝日カルチャー・センターで開講されていた西江雅之の講義を受けに行った。新宿住友ビルの上の方、毎回どきどきしながらエレベーターに乗っていた。高校や大学の授業はほとんど記憶から消えてしまったが、このときのことは、受講票、椅子の形や肌触り、窓からの眺め、先生の話しぶり、とっていたノートに書かれた自分の字など、いろいろなことを今でも思い出すことができる。
 あのとき、西江雅之は今の僕とちょうど同じくらいの歳だったはずだ。東アフリカでの人々との交流をつづったエッセイ集『花のある遠景』(1975年、せりか書房)を繰り返し読んでいた僕は、講義の内容(たとえば「”伝え合い”の言語学」など)のおもしろさにも圧倒された。このときから、西江雅之という名前は、僕にとって特別なものとなった。たまたま駅から住友ビルへと行く途中で先生といっしょになり、高校の課外授業でドイツ語を勉強していると言うと、学問をやるなら英語とそのほかヨーロッパの言葉を少なくともひとつ身につけねばならない、ドイツ語は続けたほうがいい、と。結局僕は、今でもドイツ語と関わっている。
 恩師の吉原高志先生の出身校で、西江先生が当時助教授で、千野栄一もいて、山口昌男もいて、吉原先生の師である野村泫先生もいる、東京外国語大学。これで進路は決まり。
 『異郷日記』は、「ユリイカ」誌に2006年から2008年まで連載していた文章をまとめたもの。ニューギニア高地、キューバ、バリ島、サンピエール・エ・ミクロン、三鷹”蝦蟇屋敷”など、読めばその土地とそこに住む人のありようがくっきりと浮かび上がる文章を、ひたすら楽しむ。その土地にずぶずぶと溶け込む、というのではない。滞在数日であっという間にその場所の見取り図を作り上げ、多くの人とのネットワークを楽しげに作り上げるのだが、しかし、常に移動する観察者であること、その核はしっかり保たれている。たとえそれが、日本であっても。西江雅之はそれを、自分にとってはどこも「異郷」だ、と言うのである。
 池内紀とは、三鷹の喫茶店の常連仲間だそうです。