ホンダヨンダメモ(はてなダイアリー版)

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ナチスとユダヤについての2冊。

 ユダヤ、というものをめぐる考察・研究が、日本でも多数なされてきたし、今もあらたになされている。西洋についてなにがしか考えようとすれば、どこかでそれに触れざるを得ないし、そうでなくても、今われわれが生きている近代社会のなかに、ユダヤ的なものが深く刻み込まれているということは、内田樹が『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で詳しく語っているところだ。
 この4月に、新書界の老舗たる中公新書講談社現代新書で、ユダヤ人とナチスをめぐる本が同時に出た。
 まず、芝健介『ホロコースト』(中公新書、2008年4月)。

ホロコースト―ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書)

ホロコースト―ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書)

 ナチ・ドイツによるユダヤ人大量虐殺、ホロコーストについて、最新の歴史学的研究を踏まえた解説書である。この本を読むと、「アウシュビッツ」とヒトラーの「思想」とが直結しているわけではなかった、いやもちろんつながってはいるのだが、そこにさまざまなファクターが絡んだ結果なのだ、ということがよくわかる。国家というものがひとつの巨大なシステムである以上、よく考えれば当然のことなのだが、そこを丁寧に説明してくれるので、非常に見通しがよくなる。
 ホロコーストの犠牲者は、ドイツにいたユダヤ人だけではない。全ヨーロッパ的なものであり、特に東の地域で暮らしていたユダヤ人たちの犠牲が大きい。改めて、この虐殺の規模に言葉を失う。同時に、声高な他者攻撃が行き着くところについて、それがある一線を越えたときに自動的に向かいはじめる地点について、考えるひとつの材料を提供してくれる(つい最近も、我々は体験したばかり)。
 事実がどこまでわかっていて、なにがまだわからないのかをクリアにしつつ、資料に基づきながらあくまで事実にそくして概説していくスタイル。新書ってこうでなくちゃ、という感じの本だ。
 もうひとつは、大澤武男『ユダヤ人 最後の楽園 ワイマール共和国の光と影』(講談社現代新書、2008年4月)(このタイトルはどうも…)。
ユダヤ人 最後の楽園――ワイマール共和国の光と影  (講談社現代新書 1937)

ユダヤ人 最後の楽園――ワイマール共和国の光と影 (講談社現代新書 1937)

 この本は、ちょっと問題が多い気がする。語られている事実に問題がある、というより、その語り方において、である。著者は、ドイツの中のユダヤ人が(特にワイマール期において)いかに優秀で、勤勉で、他を圧する卓越した業績を残し、かつ「自国」ドイツへの愛を抱きつつそこに同化を望んだか、たくさんの人名・具体例を挙げつつ示していく。いくぶん扇情的すぎるのでは、というくらいの文章をもって、語る。なぜこれだけ(ドイツの)ユダヤ人に肩入れするのか? と読んでいてとまどうくらいに。
 以下は、事実はこのとおりと指摘するものでは決してない、ということを前もって断った上で、しかしこのような文章を読む者がどうしたって考えてしまうのは著者自身の心理であって、たとえば、著者はドイツに長年暮らしている方のようだが、ひょっとして自分とユダヤ人(の立場)を同一化していないか? と下世話な想像をたくましくされてしまう危険性を、このような語り口は大いにはらんでいる。それでなくとも、被差別者・弱者との同一化は、他者批判のための絶対的なポジションを確保する戦略のひとつであるし(あとがき、本の内容とはぜんぜん関係のない日本の現状批判だ……)。語られている内容は興味深いのに、こういうのはとてももったいない。
 自戒を込めて思うのは、自国以外の国・社会のネガティブな部分に興味を持ったり、それを語ったりする際に、慎みというか抑制というか、が必要なのかも、ということと、そこに興味を持つ自分とは? ととりあえず問うてみよう、ということである。
 問題。上記の論点を踏まえながら、エリマキトカゲのような髪型で周囲を威嚇しつつ中国批判を叫んでいるあの女性について、1000字以内で論じよ。