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學燈社「国文学」 昭和60年10月号 「〈子ども〉の文学博物誌」

 古本屋で見つけて、購入(たしかうちにもあるはずなのだが、いま探してみたら、見あたらない)。ぱらぱらと読んでみる。昭和60年は、1985年。今では「ニューアカ」ブームの時代と揶揄されもする1970年代後半から1980年代には、「子ども」もひとつのテーマとして頻繁に取り上げられたのだった。山口昌男中村雄二郎本田和子河合隼雄川本三郎・・・。思いつくだけでも、このような学者や評論家が「子ども」を論じていた。1982年に中央公論社の雑誌「海」が臨時増刊として「子どもの宇宙」を出し(今、中公文庫に入っている)、その中では山口昌男大江健三郎が「原理としての子ども」というタイトルで対談。あるいは1984年には、今はない駸々堂から『挑発する子どもたち』という本が出版される。このあたりの流れについては、いずれまとめてみたいと思う。この「国文学」の特集も、その流れの中にある。
 巻頭の対談「いまなぜ〈子ども〉なのか」(青木保本田和子)は、まあちょっとどうもあれなのでおいておくとして、前田愛「子どもたちの変容 ー近代文学史のなかでー」がやはりおもしろい。目にとまった部分を挙げると:国木田独歩の詩「門辺の子供」で歌われているのは「まちがいなくワーズワースの影響のもとに行われた児童の発見」である。「幻燈」は明治時代の教育で「実物の映像、形というものを、幻燈を通して教えこむことによって、モノとコトバをシッカリと照応させる」ために用いられたと同時に、子どもたちを「闇の中に光の映像を作りだす ー 夢であるとか、幻覚であるとか、そういう無意識の、不気味な領域のイメージのコピイを、レンズと光線を使って作りだす」魅力で惹きつけた。「赤い鳥」の文学運動における「童心主義」、そこに描かれた子ども像の中には、「大人の身勝手な思いこみ」がある、「帰って行く対象」としての、「ユートピア」としての子どもである。
 文芸評論家である堀切直人の「ノマド遊牧民)としての子供」では:「啓蒙主義者の理想とする学校教育によって理性的にしつけられた賢明な子供と、ロマン主義の称揚する感性の豊かな愛らしくナイーヴな子供という、互いに相反する二つの子供観は、あくまでも、資本主義の巧妙な管理と監視の体制のなかから生い育った倒錯的な子供観という同じ層のたんなる裏表に過ぎない」。
 千葉俊二「児童文学における子どもの発見 ー児童文学の誕生前後ー」では:岩谷小波は8歳の頃から医者となるべくドイツ語をドイツ人の夫人に習わされていたこと。「小波にとって意味をもったのは、仇討ちや立身出世などであったのではなく、実人生を手玉にパロディーと化し、その遊技空間に子どもたちの空想を解放することであったのだろう」。
 「国文学」であるからして、日本文学の中の、それも「大人の文学」に関しての論考が主な20年前の雑誌だが、現在でも思考のヒントをいくつか与えてくれる。それと、谷崎潤一郎の「小さな王国」を読み返してみたくなった。