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畑中圭一『日本の童謡 誕生から90年の歩み』(平凡社 2007年6月)

日本の童謡―誕生から九〇年の歩み

日本の童謡―誕生から九〇年の歩み

 「童謡」に関してその歴史的な経緯をたどることのできる手頃な本は、いままでほとんどなかった。この本は、童謡がどのような背景のもとに生まれ、どんな人々の手で担われ、どのような経緯で現在に至るのか、つまりはその「通史」を俯瞰したものである。著者まえがきに、「本著作は童謡の詩的側面を中心とする日本童謡通史である」とある。著者は自身が童謡詩人でもある研究者。童謡の音楽的な面ではなく、「児童文学」研究の視点からまとめたのだ、と。
 「童謡」は、たんなる「子ども向けのうた」ではない。その生まれ年を明確に持っている。すなわち、1918年(大正7年)7月、鈴木三重吉によって『赤い鳥』が創刊されたときのことだ。それ以前に国=当時の文部省が定めた「唱歌」があって、その「教化の手段」的性格、あるいは「子どもという存在に即していない」、「非芸術的」な側面に対する詩人・作家たちの批判が「童謡運動」という形で展開していくのである。あらたなジャンルとしての「童謡」を創作する詩人が輩出し、それを支える児童向けの雑誌も多数刊行される。このあたり、社会史的側面の、あるいは明治から大正へとうつる時代の変化はとても興味深い。「教育」と「芸術」、「啓蒙」と「民衆・民俗」のせめぎ合いの中から、ひとつのジャンルが生まれてくるのだ。
 明治は唱歌の時代。岩波文庫の『日本唱歌集』は、「見わたせば」(ルソー作曲、今は「むすんでひらいて」、作詞は音楽取り調べ掛柴田瀬清熙)「蛍の光」(曲はスコットランド民謡、作詞は不明)「蝶々」(原曲スペイン民謡、歌詞は愛知県師範学校教員野村秋足)・・・と始まる。基本的に文語調で、作詞者は明示されず(「官製」だから)だいたいは役人か教育者、曲は外国のもの(民謡や賛美歌など)、というのが(少なくとも初期の)唱歌である。対して童謡は、まずは北原白秋、野口雨情、西条八十三木露風らが担う。大正7年の白秋「雨」(雨がふります。雨がふる・・・)、「赤い鳥小鳥」、西条八十「かなりや」(唄を忘れた金糸雀は・・・)などから始まって、大正10年には雨情「七つの子」、露風の「赤蜻蛉」。同じく岩波文庫の『日本童謡集』の最後は昭和16年の巽聖歌「たきび」(かきねの、かきねの・・・)、吉田テフ子/サトウ・ハチロー「お山の杉の子」で終わっている。ひとつの文学運動が、「日本人の記憶」の一部をこれだけ豊かに形成したということに、あらためて驚かされる。
 同じ著者のものでは、『文芸としての童謡』(世界思想社、1997年)が本屋で入手可能。海外からの受容の問題など詳しい。ほかに研究史として重要なものに藤田圭雄の著作があるが、未見。作曲家から見た童謡については、小島美子『日本童謡音楽史』(第一書房、2004年)がある。岩井正浩『子どもの歌の文化史』(第一書房、1998年)は、音楽的側面、音楽教育的側面を唱歌を中心として考察したもの。