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ハインリッヒ・ホフマン『もじゃもじゃペーター』

注文していた本が届いた。

もじゃもじゃペーター

もじゃもじゃペーター

 原作は1845年にドイツで出版されたもの。この本は文章の部分を生野幸吉が訳し、それに飯野和好が絵をつけた。1980年に集英社から出され、長く絶版になっていたのを「復刊ドットコム」のブッキングが復刊。飯野の絵本はうちにはないが、飯野が絵を描いた『大江戸いろはがるた』があって、娘はそれで「子は三界の首かせ」とか覚えた。この『もじゃぺー』も、なかなか悪くない。
 原作の方は、最初に1845年に出たときの絵で(時代を経るにしたがってだいぶ描き直されていった)ほるぷから翻訳が出ている。そのほか日本語訳でいま手に入るものとしては、伊藤庸二訳『ぼうぼう あたま』(初版1936年、財団法人五倫文庫発行)がある。訳者は戦前にドイツに留学した技術者で、戦時中は海軍で技術工学を担当していたという人。日本にいる甥や姪のために、日本語に訳して贈ったらしい。昨年1月から7月まで、上野の国際子ども図書館で「もじゃもじゃペーターとドイツの子どもの本」展が開催され、さまざまな時代・国での『もじゃぺー』が展示され、これは見応えがあった。第二次大戦中にロンドンで出版された『もじゃもじゃヒトラー』なんてのもあって。
 作者のハインリッヒ・ホフマン(1809-1894)はドイツはフランクフルトの精神科医で、1844年に3歳になる自分の息子へのクリスマスプレゼントに絵本を贈ろうと探したが気に入るものがなく、代わりにノートを買ってきて自分で話を作り絵を描いた。それがある出版人の目にとまって世に出るや、大ヒット。現在でもいまだ親しまれている絵本となった。
 それ以前の絵本って、子どもへの「教育」的側面が非常に強かった。あまりに道徳主義的だったり、あるいは「美的教育」が大事とばかりに「美しさ」「写実」が強調されすぎていたり、と。それに対して、『もじゃぺー』は、たしかに「教育的」ではあるけれど、ぜんぜん「美的」ではない。素人くさく(というか、素人だ)、奇抜な絵。それが受けたようなのだ。しかも、物語と挿絵とが、等しい価値をもつ形で構成されているってのも、それまでなかったこと。子どもの患者とも多く接していたホフマンのセンスによって、子どもの世界認識のあり方が本の中に取り入れられた、最初期の例となった。たとえば「おやゆびなめのおはなし」、指なめ小僧のコンラートの親指を切りに来る仕立屋のはさみの、でかいこと! 現実を正確に写し取り、それに言葉で説明を加える啓蒙主義的な「絵入り本」とはまったく異なって、ものの大きさの比率が、驚きや恐怖といった感情の大きさによって決まっている。感情や感覚が視覚化されている、ということだ。
 たしかに、はなしは教訓的・道徳的だし、残酷な面もある。でも、その残酷な「処罰」って、すごく大げさに描かれている。言ってみれば、物語の「オチ」として、なんだかユーモラスな雰囲気が強くただよってくる。絵を見ると、ちょっと笑っちゃう。内容の倫理的厳格さと、このユーモラスな感じとのズレが、この絵本の特徴だ。飯野和好も、そのあたりに反応しているのだろう。
 そのほか、自然児としての「ペーター」を本田和子が『異文化としての子ども』で論じているし(「もじゃもじゃの系譜」)、グリム童話の文体との類似性など、興味深い視点がまだまだたくさんある。とってもおもしろい本。