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『ロビンソン・クルーソー』(武田将明訳、河出文庫)

ロビンソン・クルーソー (河出文庫)

ロビンソン・クルーソー (河出文庫)

一人称が「ぼく」だったり、フライデーが「イケメン」だったり、「・・・、なんてね。」とおちゃらけてみたり、のロビンソン。しかし奇をてらっての訳ではない。あとがきで示されるように、人間までがモノとして肉として貨幣価値に換算され取引される17/18世紀という時代を生き生きと描き出すこの小説は今まさに「現代小説」として読まれるべきだ、という訳者の主張が訳文に反映されているのである。
ぼくは岩波文庫平井正穂訳(今探したら例によって下巻しか見つからない、下巻は第二部としての「その後の冒険」の訳)と講談社青い鳥文庫中野好夫訳(抄訳)で読んだのだけど、武田訳はなにしろ読みやすい、生き生きとしている。
ドン・キホーテ』や『ロビンソン・クルーソー』、あるいは『ハックルベリー・フィンの冒険』は、それぞれ百年ずつくらい時代が異なるけれど、文学好きなら読んでおくべきだし、なによりおもしろいのだ。どれもそれまでの歴史を総括しつつ新たな時代を開く文学。
クルーソーの父はブレーメン出身のドイツ人、姓をKreuznaerという。それがイングランド風になまってCrusoeとなったと書いてある。訳者は解説で、元の名には「十字架」を示すKreuzという単語が入っていたのに、英語風表記になると宗教的なニュアンスが消え、

代わりに「クルーズ」(cruise)、すなわち巡航するという意味の英単語に近くなっている。まるで父の教えを裏切り、海に飛び出すクルーソーその人の生きざまを予言するような名の変化だ。(466ページ)

と言う。さまざまな言葉遊び、同時代の人物や文物を示唆する言葉がちりばめられているのも、この小説のおもしろさだ。
ただ、crusoeの中にもcrus-、すなわち十字架(を運ぶこと)が入っているし、crusadeはすなわちKreuzfahrtで、ドイツ語のその単語は十字軍の遠征とともに巡航、クルーズの意味も表す。このあたりの言葉の絡みがおもしろい。
訳者解説はすごくためになる。まだ30代の訳者も含めて、英文学研究の世界はやはり陸続と実力ある若手が登場するなあ。需要の大きさもあるのだろうけど。