ホンダヨンダメモ(はてなダイアリー版)

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荒俣宏『衛生博覧会を求めて』(角川文庫、2011年7月)

本屋で買って、用事で新宿に行く途中の電車の中で開いたらいきなりグロテスクな写真がずらずらと。
元の単行本は1997年に出たということだが、気づかなかった。「目の快楽」的なテーマの本はチェックしているつもりだったのだけど。
すごい本だ。妖しい世界。
博覧会の歴史の中に、「衛生博覧会」というのがあり、その最大にして頂点をなしたのはドレスデンで1911年に開かれたものだという(ポスターを描いたのはフランツ・フォン・シュトゥック!)。そして、「衛生」を「啓蒙」するための催しが、実は社会の表面から抑圧された世界、すなわち肉体・死体、内臓、畸形、性(生殖)といったものを「覗き見」する見世物とつながっている、のだ。
アラマタの筆は日本とヨーロッパを自在に行き来する。江戸川乱歩の作品に登場する衛生博覧会、大阪で開かれたそれを写真に残したのは、かのエルスケン。日本の衛生博覧会の基礎を築いた棚橋源太郎、そして希代の詐欺師有田音松が経営していた「有田ドラッグ」チェーンの店頭を飾った病理模型。
そしてヨーロッパ、衛生模型や人体標本。ボローニャ大学解剖教室の歴史、画家フラゴナールのいとこであるオノレ・フラゴナールによる人体の乾燥標本。マルキ・ド・サドを熱狂させた蝋細工師ガエターノ・ズンボ。
解剖用の蝋人形を作成する技はズンボからクレメンテ・スッシーニに受け継がれる。18世紀後半から19世紀にかけてのこと。彼が作った「解剖されたビーナス」の写真が出ていて、これがすごい。
医学の教材としてのこの蝋人形を「興業」「見世物」と合体させたのが、ベルリンからフランスへとやってきたクルチウスで、その姪であるマリー・グロシュルツはクルチウスの死後、フランス革命で政情不安のパリを去って、秘蔵の蝋人形とともにロンドンへ行く。そして19世紀の初めころ、彼女はロンドンで蝋人形を並べた「恐怖の部屋」の展示を始める。その彼女こそ、マダム・タッソーなのだった。
この本の最後がまたよい。荒俣宏が奇跡的に体験した衛生博覧会的見世物を、もうコーフンの口調で語るのである。シュピッツナー博士の「大衛生博覧会」の怪しさ、「人間ポンプ」安田里美の最後の舞台。この辺はぜひ実際に読んで味わってほしい。
やはり19世紀というのはおもしろいのだ。