「シュルレアリスム展」へ行った。
国立新美術館でやっている「シュルレアリスム展」、一時休館していたが、昨日から再開とのことで、鬱々と家にいるストレス解消をせねば、と、家族で出かけることにした。
それほど人は入ってなくて、ゆっくり見ることができた。
しかしやはりこの時期にシュルレアリスムの造形芸術を見ることは、常とは微妙に異なるのだ。両大戦間の時期の不穏さと、今のこの状況のなかで生きる自分の身体とが共振するのか、ざわざわと落ち着かないものが胸のあたりに溜まる心地がする。
非現実感、ではない。強度のある現実。生きることの裏側がさらけ出されるような感覚。
たくさんあったマッソンはとくにどうと言うこともない。けれどエルンストやキリコ、ジャコメッティ、マグリットは。
ミロを見てそこに不安のざわめきを感じたのも、はじめてのことだ。
ポロックがなぜ抽象「表現主義」なのか、ということが少しわかったような気もする。
いやいや、そういうのは結局、頭でっかちな人間の感傷的な錯覚だろうよ、ということなのかもしれない、とも思う。
でも、受容理論など持ち出すまでもなく、芸術とはそういうもののはず、と思うのだ。
そう、予習していったのは次のふたつ。
・酒井健『シュルレアリスム 終わりなき革命』(中公新書、2011年1月)
- 作者: 酒井健
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2011/01
- メディア: 単行本
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・「芸術新潮」2011年2月号 特集「シュルレアリスム そうだったのか宣言」
これは図版がたくさんあるので、上の本を読みつつ、眺めると良いのだ。国立新美術館学芸課長である南雄介氏のわかりやすい解説付き。
さて、今夜は買ってきた図録を読もう。