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村上春樹『雑文集』(新潮社、2011年1月)

ようやく、採点と成績表作成と来年度のシラバス作成がすべて終わった。ふう。
いや、集中してやればもっと早くに終わるはずなんだけど。そこが怠け者の怠け者たるゆえんである。このようにして無為に馬齢を重ねていくのだ。
村上春樹の『雑文集』、読み終わった。

村上春樹 雑文集

村上春樹 雑文集

こういうたぐいのものの常として、読み終わったとたんに内容は忘れてしまう。村上春樹は「雑文」が恐ろしくうまい。文章をたどる心地よさのみがふわりと残る。もちろん、和田誠安西水丸のイラストも。
前回に書いたこととシンクロしていたのは、1983年に書かれた「ジム・モリソンとソウル・キッチン」という文章だ。1967年、18歳の村上青年は"Light My Fire"を聞く。そして、「ハートに火をつけて」という日本語タイトルは「あまりにも明るすぎる」と思う。
リアルタイムで聞いていないぼくも、かつてはじめて聞いたとき、邦題と曲の印象の乖離に驚いたのを思い出す。
しかしその違和感を、

上品に「僕のハートに火をつけ」たり「夜じゅう燃えあがる」のではなくて、もっと本当にフィジカルに、肉そのものに、夜そのものに火をつけるのだ。そしてそのような奇妙に直截的な感覚こそが、ジム・モリソンというロック・シンガーの生理なのだ。(103ページ)

このように簡潔かつソリッドに文章化できるというのは、やはりすごいことだ。
「直截的な感覚」は、ファティ・アキンの『ソウル・キッチン』にもあったように思う。食べること、ぎっくり腰とその荒っぽい治療、ダンス、セックス。そして社会の中のマイノリティ。コメディなんだけど、どこかヒリヒリしたものを感じるのだ。
演劇や映画には、そんなヒリヒリを感じたい。演劇学科卒のAkademikerであるシー・シー・ポップやリミニ・プロトコルには、そういうのあるのだろうか。それが知りたい。