ホンダヨンダメモ(はてなダイアリー版)

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チェルフィッチュ『ゾウガメのソニックライフ』を観た

雪だってんでとりあえずタイヤチェーンは買っておかんといかん、と車用品店に行って買って取り付けのレクチャーをしてもらって帰ったらなんだかへとへとで、もともと腰が痛んでもいて、それは椅子に座りっぱなしの生活に加えて天候不順もあり、コーヒー作りにキッチンに行くくらいしか歩かない運動不足もあり、体調が全般的に優れないのだったが、夜は芝居を見に行くことになっていて、いそいそと横浜へ出かけたのだった。
新規開店の神奈川芸術劇場(KAAT)にて、チェルフィッチュ『ゾウガメのソニックライフ』。KAATは大劇場での公演がお休みだからか閑散としていて、がらんとしていて、無機質のクールな建物が冷え冷えとしていて、なんだかぞっとしない感じ。

公演の行われる大スタジオは100人ちょっとのキャパか、水曜日の夜とてそれが満杯というわけでもなく、しかしほぼ座席は埋まる。舞台の上手にはラグビーゴールポストのような金属の構造物があり、その後ろにちいさな食卓と椅子2脚、背後の壁にスクリーン。手前には下にキャスターのついた、蓋のついた細長い長方形のキャビネット。下手にビデオカメラふたつが三脚に据えられ、奥に椅子3脚。
男性3人と女性2人。1人称で語られる、恋人同士の男性と女性のダイアローグ。しかしほとんどモノローグのように思える。観客はひたすら語りかけられ、最終的にはパソコンのモニターの中から主人公を覗き見る存在となる。ビデオカメラとスクリーンは、舞台と観客席のそのような関係を反復し、しかもそれは舞台上の主人公の主体が演じる自分とそれを眺める自分と分裂することを促しもする。
「日常」をめぐるとりとめのないモノローグ/ダイアローグが、そんな緊密な構成に支えられて、現代社会において「日常」をイメージすることの困難さを、あくまでユーモラスにかつ「日常っぽく」提示するのだ。恐ろしくテクニカル。動き、表情、台詞の微妙な間、それらの組み合わせが、ひとつひとつをとればそれ自体どうということもない内容の台詞に劇的な緊張を与え、観る者を現在とはどこか少しずれた地点・認識へと連れて行く。
おもしろい。
良い。
水戸、埼玉の富士見市山口県のあと、ブリュッセルやウィーン、サレルノにも行くようだ。