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大塚英志『物語の命題 6つのテーマでつくるストーリー講座』(アスキー新書、2010年11月)

精神的デプレッションからはだいぶ回復してきたが、何もできない→ユーウツ→何もできない、という悪魔のサイクルの吸引力は強く、しかも四十も後半に至ると、なさなかったことの堆積が体と心を縛りつけてなかなか辛い。誰かと共同作業で仕事をしたいな。いま進行中のがひとつあるけど、子どもの本とか小説とかで、なにかしたい。ネタを仕入れ、文章を書き、自ら動かねば。
大塚英志の「創作入門シリーズ 最新刊」、『物語の命題』読了。

手塚治虫萩尾望都石森章太郎ジブリアニメなどから「テーマ=命題」を抽出し、それに沿って実際に学生にストーリーを考えてもらう、というワークショップである。
ぼくの関心で言えば、まずは「アトムの命題」がおもしろい。

人造人間は人造人間でありながら成長を望み、しかし、人造人間であるがゆえに成長できないという問題により深刻に直面する。(59ページ)

そう。ここ最近、千野帽子が「人外との恋」としてホフマンを語るのを読み、『ゴーレムの生命論』でホフマンやチャペックのロボットが語られるのを読んだところへ、この「人造人間」という「命題」。おりしも平田オリザが「ロボット演劇プロジェクト」として「アンドロイド演劇」を上演、と。これは何か、来てるのかも。じっくり腰を据えて、捕まえたいところである。
アトム大使』の前に田河水泡の『人造人間』(1929年)がある。田河は高見沢路直として、大正アヴァンギャルドの芸術家として活動していた。そして20世紀初頭には前衛美術として「ロボットアヴァンギャルド」とも言うべき動きがあった、と。また、ロシア・アヴァンギャルド中の構成主義における「機械への熱愛」を村山知義が受け取り、1926年に『人間機械』という小説を書く。機械の人間化、人間の機械化。フリッツ・ラングメトロポリス』は1929年、チャペック『R.U.R』は1920年
なるほどなあ。
この20世紀初頭を19世紀初頭のクライスト、ホフマン、シェリーとつなげ、そして大塚に倣ってマンガ・アニメへとつなげていけば、ゴシック・リバイバルやロマン派とマンガ・アニメが接続されるのだろうか。
接続するための仕掛けには何が必要だろう。「成長」、身体と精神、自意識の突出と身体の客体化、此岸と彼岸の越境・・・。
子どもの本関連では、「エーリクの命題」が興味深いところ。萩尾望都トーマの心臓』とヘッセ『車輪の下』、大人と子どもの境界、少年の成長と物語の「内」と「外」、「異世界」。
物語論的な構造分析が、主人公の成長(あるいは非成長)と結びつけられる。さて、これをもう少しフォルマリスティックに展開するためには、たとえばツヴェタン・トドロフ幻想文学論序説』の助けを借りればよいか。
アリエッティの命題」で、著者はアニメ『借りぐらしのアリエッティ』を「佳作」として評価している。それはぼくの感じ方に近く、納得がいった。あの映画は確かに原作の持つ大切な何かを切り捨てているが、しかし「出会い」と「別れ」が成長への決意をきっぱりと表現しているところ、好感が持てたのだ。
ところで、今となりの部屋では娘が寝る前に妻に本を読んでもらっているのだが、このところは『床下の小人たち』なのである。今は2巻目に入ったところのようだ。